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すずめの戸締り #26

平日仕事休み。今年度初めてのスタートは、おうちで映画鑑賞することにしました。サブスクの発展に感謝しかないな。

さて、そんな映画鑑賞1発目は、新海誠監督のすずめの戸締り。カンヌ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭に並ぶ三大映画祭の1つ、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門にも選出され、2002年の千と千尋の神隠し以来21年ぶりの出展作品となったようです。
色々と考えさせられる映画でした。

九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年に出会う。彼の後を追うすずめが山中の廃墟で見つけたのは、まるで、そこだけが崩壊から取り残されたようにぽつんとたたずむ、古ぼけた扉。なにかに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが...やがて、日本各地で次々に開き始める扉。その向こう側からは災いが訪れてしまうため、開いた扉は閉めなければいけないのだという。――星と、夕陽と、朝の空と。迷い込んだその場所には、すべての時間が溶けあったような、空があった――不思議な扉に導かれ、すずめの“戸締まりの旅”がはじまる。

https://filmarks.com/movies/100650

廃墟にある扉たち

この物語の扉のある場所は、かつて人々で栄えていた集落、遊園地、住宅街などが描かれており、家族や友人など会話や笑顔が絶えないところであった。
しかし、突然の自然災害や過疎化によって、それらは衰退していき、残された扉を開けてしまうと災いが出てきてしまうという設定。

あの災いは、人々たちの怨念なのかもしれない。
栄枯盛衰、いつまでも栄え続けることは難しいことであるが、災害には人々は逆らうことはできない。
笑顔や幸せを奪われてしまった人々の思いが、みみずという得体のしれない災いとなって表れてきてしまったのかもしれない。

日本は神道で八百万の神々の存在が信じられてきたが、いつまでも幸せに願い、思う祈りということは、我々の生活にとって大切なのかもしれない。

愛こそが行動の燃料

すずめは、青年ソウタと出会うが最初は、たんなるイケメンという外見から入ったに過ぎないと思っていました。

でも、彼のことを知るにつれて深く恋心を抱くようになり、彼のことが好きなっていくのがよく伝わってきた。そして、氷漬けされて地震を抑止する止め岩になった時、彼を本気で救おうと行動するその姿勢に、感情移入してしまった。

愛はすべての原動力になるのだろう。
すべては、人々の思想や行動から始まる。そこに純粋な愛があればよいが、損得や利権ばかりに偏ってしまうと、人はあっさりと曲がっていってしまうのだろう。

でも、すずめはネコの大臣のことをどう思っていたのだろうか。
ソウタは助かったものの、今度は再び大臣がとめ岩になったという事実。そこだけを切り取ってみれば、やはり人生をつかむうえでは何かしらの犠牲は致し方ないのか、とも考えてしまう。

おばさんとの本音

震災で母を失ってしまい、おばさんが引き取ってすずめを育てることになったが、独身のおばさんも生活が大変だったのかもしれない。

養育費があるから育ててあげた、というあの発言は果たして真相はどうなのか。あとで、自分の発言に対して反省をしていたが、それでも、本当はすずめを育てることに不満や愚痴もあったのだと思うと、

震災というのは、人々の生活そのものを一変させてしまう恐ろしいものだと思い、誰も恨むことはできない。

それでも、自分の人生は自分で決めて生きていくことしかできない。誰のせいにもできない。

そうはいっても、誰かのせいにしたくなったときに、そのことを吐き出せるような関係をつくりあげることが、生きる上では欠かせないのかもしれない。

自立するということは、頼りどころをたくさん増やせるようになることなのだろう。

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