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自制心 #25

私は、ストレスがかかると食に走ってついついたくさん食べてしまうという行動パターンの傾向があります。

疲れたなぁ、甘いものが食べたいなぁと思ったら、
帰りがけにあるローソンが必ず目に飛び込んできてしまい、
ローソンのデザートを買って帰ることがしばしばありました。いや、今も少しはあるかなぁといったところです。

内面でも違和感を感じることが多々あります。
欲を満たそうと行動に突っ走る自分と、
いや、まてよ。その行動を本当にとっても大丈夫なのかい?と抑止を吟味を促してくれる自分と。

以前は抑止する自分を認められずに、自分をせめたり苦しませたりして辛かった時期もありましたが、最近はまるっと、そんな自分も自分だよ。と、まるっと自分を認めてあげることができる自分が増えてきて、ずいぶんと楽に過ごせるようになりました。

ストレスがないときは自分を認められても、
そうではなく、繁忙期や欲望や執着、煩悩が出てきたときの自分との向き合い方が大変で、これには長い時間のリハビリというか、訓練が必要だとここ最近生きてきて感じることである。

でもって、集中という力も重要である。
中心に集めると書いて集中。今こうしてnoteを書くことや本を読むこと、人と話をすること、考えること、身体を鍛えること・・・
私たち人間は二つのことを同時に処理する脳は備わっていなく、1つのことに1つのことしか取り組めない。

でも、集中の力によって、その深さや広さが大きく変わってくる。
特に深さにおいてはまだまだ課題である。
集中は脳みその筋トレみたいなものだからである。運動をして汗をかくとアドレナリンやドーパミンが放出して、気持ちの良さや持続する力がはたらくが、考えることや本を読むことにおいては同様のことができにくい。

いや、同じ境地に意識を持っていくことで解消されるのかもしれない。
例えば、人と話すときは、おもろいことを言って相手が笑ってくれると、コミュニケーションをとること自体がおもしろみを増し、それを求めるために行動するのだ。面白い人の話は何時間でも聴いてみたいと思う。

まてまて、話を戻そう。
集中。そうだなぁ、集中は心が乱れることなく、真剣に、真心で取り組んでいるさまである。昔で言うと、部活で楽器の練習をしていた時があった。楽曲の練習ではなく、どうしても調子が鈍るから、ひたすら基礎練習のロングトーンとスケール練習。あとがぶれないように、アンブッシュアを気を付けたり、肺活量を意識して呼吸をしたみたり、息を出すときの口の形や温度を気に気を付けて見たり。

今思えば、自分の課題にのみに集中して向き合っているときこそ、
自制されているのだなぁと。深層心理には、自分の磨いてきたことが誰かに届けることを意識しているからだろうか。ただただ一心に。おごることなく。今という時間を最大限感謝しながら、呼吸をしていくだけ。

なんだか、だらだらと思ったことばかりを書いた文章になってしまったけれど、こういうのもたまにはいいかもしれない。

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