一振りで人生を変えれる


今回は、いつもよりも文章の構成を気にするより、想いのまま伝えていきたいと思います。

勇人はここまでのプロサッカー人生を振り返って、何点を挙げられる?

帰省したタイミングで必ず会う高校時代の友人にこんな質問をされた。

この友人とは、高校生の頃、河川敷で朝から一緒にサッカーをしていた親友である。(彼は特進クラスで過ごしていたので、朝学習というのがあったがその時間ギリギリ、いや遅れてなあれは(笑)そのくらい夢中になってサッカーをしていた。本当に迷惑をかけました(笑) 2年生からは普通コースへ降格して時間を気にせずサッカーをしていた(笑))

そんな彼の家には、僕がプロ入りが決まった際に記事になった中日スポーツの切り抜きを未だに玄関に飾ってくれている。好きな女の子のタイプも全然違うし、仕事や物事に対すること考え方も全然違うけど、俺には大切な友人だ。

そんな学生時代の友人から上記の質問をもらった。


20点かな。


こう答えようとした。

15歳の時、彼と出会った時に思い描いていたサッカー人生ではない。

26歳でJ2のプレーヤー。2度の戦力外通告。8年でやっと通算100試合の出場。。。

でも、逆に言えば、

26歳でJ2リーグでプレーして、2度、戦力外通告を受けたけど、100試合出場することが出来てる。来年もサッカー選手としてプレーができる。

そう考えると、果たして20点でいいんだろうか。。。

だから俺は、

50点かな

こう答えた。俺の友人は、俺のことをよくわかってるから、最初はびっくりしてたし、「100点中、3点だろ。早くACミランにいってくれ(笑)」と冗談を言っていたが、(友人は生粋のミラニスタ)

話していくうちに納得してくれた。


特に自分の中で50点の最大の理由は、100試合のセレモニーで母親から花束を頂けたからだ。

僕の母親は、本当に献身的でたくさんの愛情を持って小学生の頃からの僕のサポートをしてくれた。毎日の車での送り迎え。栄養のことも勉強してくれて、食事でもサポート。何より優しく、僕のすること、選択を否定したことが1度もない。本当に素敵な母親だ。(父親にもたくさんのサポートをしてもらった。またいつか綴りたい)

セレモニーも最初は迷っていた。半分の49試合がガンバ大阪U23時代のJ3での試合だったし。

でも、高校を卒業して、大学に行かずにプロになった。プロになって8年だけど、心配をかけたことのが多い。だからここで感謝の気持ちを伝えたいと思った。なのでクラブの方にお願いして、行うことにした。

結果、このセレモニーを行えて本当に良かった。

自分の中でサッカー人生の最低ラインはクリアできたかなと思えた瞬間だった。だから50点。

友人は僕の母のことをよく知っているのでこの話にすごく共感してくれた。


そして、残り50点はどうしたらいいか。これが、今回の題名にある。

この世界にいると、一瞬で人生が変わる。この瞬間にたくさん立ち会ってきた。その度に、次は俺の番だ。と心の中で思う。

でもそんな簡単じゃないのが現実だ。もっと言えば、いつサッカーがやれなくなるか分からない現実もある。

だからこそ、いつサッカーが出来なくなってもいい覚悟でサッカーをしてる。

某テレビ番組で戦力外通告を受けたスポーツ選手にフォーカスした番組がある。そこで感じるのが、「全員が後悔している。」

これは、21歳でグランパス、23歳でガンバ大阪をやめた時に僕も感じた感情でもある。
でも今の僕は、次このような状況になったとしても絶対後悔しない。


それだけ時間の使い方。日々の過ごし方。サッカーに対しての向き合い方。自信を持って毎日の過ごし方を誇れる。

だからこそ、あとは人生を振り返った時に、最高のサッカー人生だったと言えるように。少しでも人生のハイライトが増えてるように。


50点までは、来ることができた。1番応援してくれた人に、少しだけ恩返しをすることができた。

あとは、自分自身が少しでも、納得出来るように。ちょっとでも満足度が上がるように。

これまで以上に努力を続け、準備をしていきます。

一振りにかけて。


2022年、楽しみにしててください。


2021年、最後の投稿でした。皆さんよいお年を。





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