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自己受容は諦めかもしれないが、役に立つ。

自分教を克服する3つの方法は
・インフォーマーになること
・謙虚さを養うこと
・自己受容に励むこと
です。

今日は3つ目の「自己受容」に焦点を当ててみます。


今月の課題図書「インサイト」では自己受容について、こんな風に書かれていました。

「自尊」というのは、客観的な現実はどうあれ自分は素晴らしいのだと考えることであるのに対し、自己受容(自己への慈しみと呼ぶ研究者もいる)は、自分についての客観的現実を理解し、その自分を好きになろうと決めることだ。完璧であろうとするのではなく(あるいは自分を完璧だと思い込むのではなく)、自己受容する人びとは、自分の不完全さを理解し、許すのである。
-「insight(インサイト)」本文より引用

この部分を読んで、ぼくはある「」を思い出しました。

阿部真央さんが歌う「どうしますか、あなたなら」という歌です。
今年放送されたテレビドラマ「これは経費で落ちません」のオープニング曲。

完璧になろうとしたことがある人はわかると思うのですが、なれないんですよね。
人間はロボットじゃないですし、そもそも完璧ってなんやねん?って定義が難しい。

弱さと強さを併せ持っているのが、人間であり、だからこそお互いに助け合える。
みんなが完璧だったら、「助ける」という言葉はこの世に存在してないはず。
だって、なんでも自己完結できちゃうんだもの。


今日の日本では、他人のミスを許さない風潮みたいなものが蔓延していて、すぐに他人を責めたりすることが多い。「他人の不幸は蜜の味」を地で行っている国。
果たして、そういう社会は自己受容に溢れていると言えるのかな?
それって、結局自分の首を締めていることに早く気づかないと。
インサイトだよ、インサイト!

次のnoteでは、自己受容の高め方について、考えてみます。

今日も日刊ムショクを覗きに来てくれて、ありがとう。
許すことは、受け入れることでもある。


このnoteは「日刊ムショク」と題して、
無色の毎日をつらつらと綴る。
平日は7時ごろ、休日は9時ごろに更新予定。
また明日、時間があれば、覗いてね。

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