高田昌幸

記者クラブを改革しようとした新聞記者の軌跡


 映画『i新聞記者ドキュメント』の公開に合わせて、さらに記者クラブの話を続けようと思います。

 望月衣塑子・東京新聞記者が記者クラブについて、どう考えているのかはよくわかりません。少なくとも、批判派や改革派の急先鋒というわけではなさそうです。

 かつて、新聞記者にも記者クラブを改革しようと有言実行した人物がいました。北海道新聞の高田昌幸記者です。

 私はパチンコ業界誌『PiDEA』(ピデア)2010年7月号に高田記者について書きました。それに加筆して公開するのが本記事です。

北海道新聞の高田昌幸記者と警察タブー

「自分は、駆け出し時代も含め、高校野球の予選すら取材したことのない、まったくのスポーツ音痴。運動部デスクになっても、原稿の『てにをは』を直すことぐらいしかできない」

 そう言い残して、1人の新聞記者が東京から札幌へ転勤していった。2010年6月末のことだ。

 北海道新聞(以下、道新)の高田昌幸記者といえば、地方紙の記者でありながら、知名度は全国的。2003年11月から道新が北海道警察本部(以下、道警)の組織的な裏ガネづくりを追及しはじめたときの取材班代表(編集局報道本部次長=いわゆる「デスク」)だった。

 当初、道警は全面否定。高田記者は「道警に組織的な裏ガネづくりを認めさせることが目的」として、原田宏二・元道警釧路方面本部長や齋藤邦雄・元道警弟子屈署次長ら内部告発者の協力も得て、追及を続けた。

 2004年11月、ついに道警は組織的な裏ガネづくりを認め、9億円余りを国と北海道へ返還することを発表。1年間で道新は1000本の追及記事を掲載した。高田記者ら取材班は2004年度の新聞協会賞を受賞している。

 取材班が評価されたのは、「新聞やテレビなどの記者クラブメディアは最大のネタもと(情報源)の警察を批判できない」というタブーを打ち破ったからである。取材班が著した『追及・北海道警「裏金」疑惑』(講談社)に、こう記述されている。

 警察取材は、日々の事件・事故を主に捜査側から追うことで成り立っている。担当記者は警察記者クラブに常駐し、夜回りや朝駆けを続けながら、捜査員から事件捜査の見通しなどを丹念に聞いてゆく。
 だれだって、自分に不利なことを書かれるのは嫌がる。そして、警察に嫌われたら、肝心の事件・事故取材がしづらくなるため、記者はどうしても、警察が認めた範囲でのみ、スクープ合戦を繰り広げるようになる。
 したがって、警察取材は「一警察官の個人的な不祥事は記事にできても、組織的な不正は書けない」という状態に陥りやすい。

 実際、道新が道警の組織的な裏ガネづくりを追及しはじめると、道警は道新に対して、記者会見などでの公式発表を除き、事件・事故に関する情報を提供しなくなった。非公式に伝えられる情報がもとの「きょう○○議員逮捕」というような重要ニュースが道新の紙面にだけ載らない、いわゆる「特オチ」(特ダネの反対の意味)の危険性も出てきた。

 もっとも、ここまでは高田記者も覚悟していた。大谷昭宏氏(ジャーナリスト)と宮崎学氏(作家)との座談会が収録された『警察幹部を逮捕せよ!』(旬報社)で、次のように話している。

「今回は最初に、取材班に言ったんですよ。『裏金問題は徹底的にやる。事件・事故ニュースを捨ててよいわけではないが、結果としてとにかくふつうの事件ものが全部抜かれても、それは仕方ない。あとの責任は俺が取る』って」

高田昌幸

高田昌幸記者(2005年撮影)

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