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噛み合わなさの正体

こんちは、秋山です。
noteではしばらくぶりですね。

前回の更新を確認したら2021年10月でした。
そこから何をしていたかというと、映像の仕事をメインにやりつつ、ひと月ほどちぎり絵の別の作品を作り、その他はコンペを見つけて色々やってました。

で、久しぶりにnoteを書いた理由なんですが、去年10月にメディ芸が終わってから、特に今年に入ってから焦燥感とも言える変な感覚があって、思考と手先がずれていたような感覚がありました。
そこで備忘録も兼ねて、自分を振り返るために書いておこうと思いました。

早速ですが、2021年というのは自分にとって本当にいい年でした。
今までやってきたことと、願っていたことと、したかったこと。
それらが全部噛み合って一つの大きな成果を出せた、そういう年だったと思っています。

ただそれは同時に自分の中の最高得点を出したということでもあり、一つの基準が生まれたということでもあります。
するとあの時・あの瞬間を超えていかなければまだ足りない、ダメだという気持ちが生まれて、新たなことを始めようとしてもどうしても過去と比べてしまう。

ただ新たなことを始めたそのスタートラインで、過去の一つのゴールを超えられることはまずあり得ません。
もちろん過去のゴールラインを超えて、更にその先でスタートラインを引いているわけですが、そのスタートラインを引いた時点で、過去のゴール地点で得たものを得られるわけはないというか。

話が入り組んでしまうので例え話に置き換えますが、野球の試合でピッチャーが相手の打者27人を無安打で抑えてパーフェクトピッチングで勝利したとしても、次の試合で1回に猛攻撃を食らって12失点即降板もあるわけです。前の試合でパーフェクトをしたからと言って、じゃあ次の試合でも「最初の9人はアウトになったところからスタート」みたいなアドバンテージを貰えるわけはない。次の試合も試合が終わるまで打者全員を抑えきらなくちゃいけない、全くの新しい試合なわけです。

M-1のオズワルドでも言い換えられますね。決勝をトップで通過しても、ファイナリストで二回目も跳ねないと優勝はできないみたいな話です。
決勝は決勝であり、ファイナリストはファイナリスト。
前回の得点が通用しない、違う舞台・試合になってるということです。
関係ないですが、その点で妙に親近感が湧いて最近オズワルドが好きです。

過去の良かった状態にすがってしまうと、今の調子の悪い噛み合ってない状態を今すぐに戻したい。戻さないといけない。もっと言えば、このまま戻れずじまいのたった一回うまく行っただけの一発屋で終わりたくないという気持ちから変な焦りが生まれて、結果を急いでしまいます。
さらにそこで小手先だけの技術に頼って、すぐに成果をあげようとすると悪循環につながっていく。
なんだかそういう流れの中に自分の身があったように今感じます。
少なくとも去年の10月以降、特に2022年1月の前半はそういう状況に知らず知らず入り込んでしまいました。

ある種、このnoteがこのタイミングで書けていることは救いで、まだ傷が浅い段階で応急処置ができたと思います。

というわけで今後、2022年ですが、とりあえずサクサクとアイデアをすぐに形にする練習をもう一度イチからやってみたいと思います。自分に要求するものが高くなっているから、もっと気軽に作るということを考えたい。

それと、長期スパンで一つの大型作品を作っていきたいと思います。
2,3年とかそういう期間のものです。誰かに出されたオーダーではなく、自分で自分に課したオーダーを、自分の手で構築するということをします。

具体的に何をというのは決めていません。
そこから考えていくことも長期スパンですることの一つです。
だから2022年は結果を出すことを目標としません。
2021年に蒔いた種が芽が出た場合は別ですが、2022年にスタートしたものを年内のうちになにかしようとは考えず、もっと先の未来で実を結ぶための創作をしていきたいと思います。

思いがけず2022年の所信表明になってしまいましたね。
もっと正月とか三が日くらいにやれよっていう内容だと思うのですが。
まぁまだ1月なので。2022年はまだまだ始まったばかりです。

お互い頑張っていきましょう。では。

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