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フェスティバルプラットフォーム賞と、この1年

第24回文化庁メディア芸術祭の受賞展が終了しました。
「ちぎる」も多くの方に見ていただき、ありがたいお言葉も頂戴しました。
10日間というあっという間の時間でしたが、私にとってはまるで夢のような時間でした。本当にありがとうございました。

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ここからは、実際にこの映像制作をどう進めたのかという数ヶ月の記録を、自分の備忘録のような形で残しておくために、書いてみたいと思います。


企画段階

『テーマの「ちぎる(千切る・契る)」とちぎり絵の「ちぎる」はどっちがアイデアとして先にあったのですか?』
という疑問をよく聞かれました。

これ関しては正確に答えれば“ちぎり絵”となるのですが、実際のところはほぼ同時です。
ちぎり絵が思い浮かんで、「アナログでいいアイデアかも」と思った瞬間に連想ゲーム的に「千切る」というキーワードがやってきて、これが今の世界の“分断”と結びついたという流れです。

でもそれだけだと「離れ離れで終わっちゃいましたね、あーあ大変大変」で終わってしまう客観的視点と、この記事で書いた自分の心とのシンクロで、良い方向へ世界が転じることを無根拠でも言うべきだと思い、繋がりをという言葉を「契る」という言葉に言い換えて、「ちぎる」というタイトルと共にこの映像の原案が誕生しました。

応募時にはサンプル映像とセットで提出をしました。

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文具店で買った和紙折り紙をコツコツ貼っていきながらタイムラプスで撮影し、それを編集したものをまず用意しました。
それからその映像をBlender上で作った球体にテクスチャとして貼り付け、1, 3, 5階から見たときを想定したアングルで映像をレンダリングしました。
すると、ちぎり絵でタイムラプスした映像のイメージとなるわけです。

絵コンテについては、手書きやらPhotoshopやらで作った書いたイラストとセットで、絵コンテのフォーマットとともに記しました。

特にこの点については特筆することはないですが、この企画案段階と実際の映像展示から変わった点があるとすればナレーションです。
当初はこの映像にセリフのような感じで日本語音声によるナレーションを入れる想定でした。しかし、このナレーションは無くしました。

この理由は科学館を視察した際に、自身が居る階によって聞こえる音に差があるなと思ったことと、科学館の展示を見ていたら多言語への対応や聴覚に障害を抱える人への対応を行っていて、そういった観点であまり言語や音声に頼らないほうが望ましいなという2点からでした。

それとこの言語・音声に頼らないという点についてもう少し言及したいのですが、この映像は基本的に見る場所が違えど、そこで写っているものが微妙に違えど、全員が同じ感情を抱くことができるような設計にしています。

それはこの分断とつながりを語る映像内で、また別の分断を引き起こさないためです。
具体的には映像を見て得られる「理解度」について、自身が見ている場所や高さ、あるいは人種、持っているスキーマによって異なる理解をした場合、それは知識の分断になると判断しました。
であれば、それは起こさないようにするべきだという結論です。

ただ、ジオ・コスモスの映像作品について見る場所によって違う景色が見られるものを否定している訳ではありません。
例えば、昨年のプラットフォーム賞を受賞された「球小説」は見る場所によって違う物語が進んでいくというものでした。


球で物語を読むと、同じ時間なのに並行して複数の物語が動いている。
同じ状況、同じプラットフォーム上なのに、視点の違いで異なる物語が動くというのは、ここで無いと体験し得ないし、何度も見たくなるような面白いアイデアと映像でした。
あくまでも視点の違いによる理解度の差異が生まれるということを、作品の内容と照らし合わせてどう考えるかという話で、本作の場合はその差異を許容しないという選択をしたということです。

大枠としてはこのようなことを考えながら、企画段階では映像を組み立てました。そうして受賞という結果の報告をいただきました。

制作準備

「受賞したやった~!」と思っていたのは一瞬で、「さぁやらなきゃ」という方向にすぐに舵を切りました。
あ、今更ですが、プラットフォーム賞というのは企画案段階で応募ができ、受賞が分かったら制作を進めるというプロセスを踏むことができます。
本作もそのパターンです。

まずは制作環境と使用素材の準備です。透明のアクリルドームの発注、和紙の発注、機材周りの準備で約1ヶ月を使いました。

受賞発表がこの日。3月12日。

和紙工房に連絡をとって福岡経由で佐賀へ。3月25日。

アクリルドームの中にTHETAZ1の360度カメラを入れて、その外から映像をチェックするプログラムをUnityで作る。4月20日。

一通り揃って、準備を組み始めた。5月7日。
(カメラの固定とケーブルはこのあと3Dプリンタで作ったものに変更)

またこの期間中は球体での上映に適した、つまり正距円筒図法でのVコンを制作して、表示する人のシルエットの大きさや数、紙片の大きさ、亀裂の通過箇所などをBlender上でチェックしていました。

といった流れで準備を整えたあと、ここからは実際に制作やジオ・コスモスをお借りしてのテストに入っていきます。

制作

ここからは実際に黙々とちぎり絵をしていく作業になりました。
ちぎっては貼り、ちぎっては貼り。修行みたいなことになってました。

それから日本科学未来館さんとお話をやり取りしながら、実際にジオ・コスモス上でのテストを開始しました。これが5月中旬。

最初は先ほど言及したVコンベースで見た目を確認しました。
割ったらどんな感じになるかや、シルエットの数をいくつにしようかといったチェックがメインでした。

地球の亀裂シーンや人のシルエット数の確認。今とは似て非なるもの。

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しかしここで決定的に思い知るのですが、ディスプレイで見るのと、この場で見るのは雲泥の差があって、ディスプレイ上での確認はほとんど参考にならなかったです。出力される色味の違いやスケール感など、これは実際に映さないと本当に分からないことが多かった。

…書きながら段々と「この文は多分これはもう来年の受賞者の方とか、これから球体映像作る方に向けたメッセージ・アドバイスだなぁ」と思いつつあるのですが、もしそういう方が見ているとしたら「ディスプレイを信用せずに、目を信用したほうがいい」という言葉を送ります。

あとここで、和紙の質感がしっかり出ていないと、この映像は淡白なものになると気づきました。
また、本作ではストップモーションのときに起こる微妙なブレやズレをわざと残していました。これがないとデジタル感が強いというか、せっかく手で作業しているのにCGっぽくなってしまうというところで、拙くは見えるけどもアナログ感が活かすことと天秤にかけて軽微なブレは残しました。

ただこのときはわざとブレ感というか、もはやわざと動かすみたいなことをやっていました。そしたらどうなったかというと、ディスプレイ上では小さなブレですんだものが、ジオ・コスモス上ではもはや大移動で別物になってしまったという気づきもありました。

そんなことで当初は最初と最後だけチェックすればいいかなと思っていたのですが、そんな悠長なことは言ってられなかったので何度も通いました。

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そうして3ヶ月程度をかけて映像の完成。
今作は手作業だったのでこれだけかかりましたが、もっとスマートに作れれば短期間になるとは思います。
あと、次回以降はジオ・コスモスの改修が入るので、色味や明るさについてはよりよい環境で上映ができるのではないでしょうか。

関係ありませんが、オリンピックの開会式のドローン演出が「バラバラなものが一つの絵を作る」という意味で本作の意図と似ているように感じて、良いなと思う反面、謎に焦りを覚えたりもしました。

上映

そして9/23からは、皆さまの目の前にお披露目となりました。

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鑑賞者のふりをしてシレッと皆様の見ている様子を観察したり、聞き耳を立ててました。変な挙動をしている人がいたらそれは多分私です。
カップルの一人がどこかから戻ってきて「お、地球バラバラになってた?」ともうひとりに話しかけてたときは、あまりのカジュアルさに面白くてマスクの下で笑ってました。

ただこのとき思ったのは、球体の裏側があまり見られないという点です。
1回の上映で流れるのが2回ということもあったので、あまり移動される方も少なかったのだと思います。
一応冒頭の地球の亀裂シーンで言えば、ジオ・コスモスの真裏(3階から5階に行く途中)に日本があって、一番最初に亀裂のラインが入るときに日本にもその亀裂が入っています。
この亀裂が入った県というか位置を見ると、亀裂がどういう意図を持って、どんな場所を切っているかと言うのが分かるヒントにしておいたのですが、流石にそれを知ってもらうのは厳しかったなと言う反省です。
どこからでも見られても同じ理解度、という設計にした以上は1階や3階の正面位置に鑑賞者が固定して動かなくなるというのも考えるべきでした。

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もし色んな場所から見てほしいということを考えるのであれば、裏はどうなっているのだろうと鑑賞者が想像するような、なにか演出上のフックを下部分や正面に仕込む必要があると思います。

最後に

そんな知見と反省もありましたが、一番は無事開催されて、作品を上映できてよかった、ホッとしたという気持ちが一番でした。
「作れるのかこれ?」という自分の感情の面の不安もありましたし、東京で感染者数が5000人を超えた頃には「受賞展できるのか?」と世の中の様子に不安を覚えながら過ごした期間でもありました。
これが無に帰していたら今までやってきたことの意味は…、と思いましたし、実際世の中には飲食店やイベントでそのようなことが起こっているわけですから、決して他人事で世の中を見るなよと自らの兜の緒を締めて、黙々と進めてきました。

台風が襲う日もありましたが無事に最後まで、上映できたことを嬉しく思います。そしてこの作品のメッセージが、エネルギーが、皆様の心になにか明かりを灯すものであったならば、作り手冥利に尽きます。

残り数ヶ月となった2021年ですが、また皆さまの前に立てるように頭を回して、手を動かしていきたいと思っています。
また、来年のジオ・コスモスではどんな作品が見られるでしょうか。まだまだ大変な世の中ですが、頑張って一緒に生きていきましょう。


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