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『Invisible Cinema 「Sea, See, She まだ見ぬ君へ」』

夏の終わりに、都心に出る機会があったのでまとめて色々見てきました。
その中でも特に感想を残しておきたかったのはこの作品。
『Invisible Cinema 「Sea, See, She まだ見ぬ君へ」』です。

本作は70分に渡る作品なのですが、最大の特徴は“耳で視る映画”という点にあります。つまり音以外の要素がほぼなく、70分間を暗闇の中で過ごします。

私は予備知識が一切ないままに本作を見たのですが、この暗闇というのにまず驚かされました。
暗闇と聞くと例えば夜道だとか、寝るために目を閉じた状態なんかを想起します。ですが、本作の指す暗闇は本当の真っ暗。一切の光が入らず、隣の人との距離もわからない、仮に目の前が事件現場になっていたとしても、全く気がつかないような真っ暗です。

実際入場前の案内で、暗い場所が苦手な方、閉所恐怖症の方に対する注意がありましたし、途中で手を上げて係員とともに退出される方もいました。それほどの暗所です。
現代に生きていて、これほどの完全暗所に入ることはまずないと思います。

作品がはじまると、様々な音が暗闇の中をめぐります。
水の音、生き物の鳴き声、火の燃える音のように言葉で伝えられるようなものから、擦れてる?掃いてる?のように言葉でうまく伝えられない音。
それに迫りくる重低音やノイズ、そして音楽と音の狭間のような存在。

この音の連続や構成自体に私はあまり意味を考えませんでした。
というか意味や物語があると考えたところで仕方がないなと途中で諦め、ただそこにじっと座って、今鳴っている音だけを捉えていました。
すると不思議なもので、ある時から自分が今目を開けているのか閉じているのかわからなくなってきます。
このとき、なんとなく自分の頭と空間の境目がなくなる感覚を覚えました。この空間自体がまるで自分の頭の中、というと大げさかもしれませんが、耳で聴くというよりもすでにもう頭の中に音がある感覚でした。

この感覚、心地いいときは本当に心地よかったです。
例えが良くないですが、サウナでととのったときに銭湯内の水の跳ねる音や揺れる音がすごく美しく聞こえるんですよね。
あの感覚に似た心地よさがありました。この表現だと少しチープかなぁ…。

でも、逆に迫りくるような音が響いたときには本当に飲み込まれるんじゃないかと思いました。
だからある種ストックホルム症候群のように、音しかこの暗闇で頼りになるものがいないという以上、感情が音と直接接続されて、心地さも恐怖もすべて音に握られているといった体験でした。

あと時々、紫の光のようなものも現れて見えたのですが、あれは映像だったのでしょうか?それとも脳裏に勝手に映し出して見えていたのでしょうか。それぐらい、感覚と自分との領域・境界みたいなものが曖昧になって溶け込んでいました。

さてここまでが実は感想の前座。
ここから私のこの作品の解釈というか、得た物語になります。

私は本作を臨死体験の逆で、造語ですが臨生体験だと思いました。
具体的に言えば、子宮の中にいる状態~記憶や自我が芽生える前の追体験だったように思います。

そう思ったのは終盤になってのこと。
今まで何も現れなかったスクリーンに徐々に映像が映し出されます。
その映像はこれもまたなんて言っていいかわからない白黒の模様です。
森で木々を見上げたようにも見えるし、水面にも見えるし、地面にも見えるし、誰かが映っているようにも見える。

見えているけど、それがなんだか知らない。
なんだか知らないまま視界はゆっくり動いている。
音もなんだかわからないけどずっと鳴っている。急に怖い音も聞こえて、嫌な気分になる。でも女性の息遣いを聞いて安心した。
そんなことを思った自分を振り返ると、自分がまだ目の完成していない赤ちゃんみたいだったなと思います。

でもそう考えると、自分の心の動きに納得します。
真っ暗闇だった場所で音だけを聞いていて、時々波のような音を聞いて心地が良いとも感じ、不安でもあった。
それから光が現れてまた不安になって、でも安心してという体験。
自分がお腹の中にいる時のことを覚えているわけではないけれど、でもこんな体験だったかもしれないと思いました。

そういえば自分は生まれてくるときに首にへその緒を巻き付けて出てきたと聞きました。めちゃくちゃ外の世界に興味津々だったか、お腹の中でめちゃくちゃビビって逃げ回っていたんだと思います。
27年生きてきましたが、今も正直あんまり変わってないかもしれません。

そんな自分が自分でない頃の存在に思いを馳せる。
そんな経験ができた本作なのでございました。ありがとうございました。

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