外国人選手は神と対話するが、日本人選手は誰と対話する?

部屋を片付ける1番良い方法は
掃除を習慣にすることではなく、
友達を家に呼ぶことだと思っている下澤悠太です
#呼ぶ友達がいないという壁にすぐぶち当たりました
#逆境


(2266文字/約2分30秒で読めます)


先日読んだ、numberさんの
『なぜ「ミスをしても味方に謝らない」のか...
「神」と海外選手の真の関係性とは[サラーの祈り]』
という記事がめちゃくちゃ勉強になったので、
今回はその内容について
深く考えてみたいと思います!


今回の中核となる内容を
簡単にまとめると、、、

例えば決定的なシュートを外す
といったミスをしてしまった時に、

僕を含め多くの日本人選手が
「味方に謝る」ことを選択するのに対して、
外国人選手たちは決定的なミスの直後でも
すぐに味方に謝ったり、
自分の失敗であることを進んで認めないよね?

あれって単純にメンタルが強いからなのかな? 

いや!『神を信仰しているかどうか』が
影響しているんじゃない?
という考察が書かれていました。


そんでもって、
日本人の場合はミスをした時にほぼ無意識に
周囲に対して自分の失敗であることを
認めると思いますが、

この時に僕たちを裁いているのが
「場」である、という点です。
周囲に対して謝る、の周囲とは
監督でありチームメイトですが、
実は日本人的な「場」を形成するのは
個人ではなく「空気」です。
僕たちのミスを裁くのは名前を持つ個人ではなく
その総体である「場の空気」であることが多い。

ということが
この記事で書かれていました。


これは「たしかにな〜」と感じました。

それこそ決定的なミスをした時ほど
心の底から申し訳なさを感じて
仮に「ごめん!」と誤ったとしても、
その後もずっとその場にある
周りからのネガティブな雰囲気を感じて
プレーにも大きな影響を与えるような
気がしています。


一方で、一人の神様を信仰する
「一神教徒(キリスト教)(イスラム教)(ユダヤ教)」
の選手たちの場合は、
まず神様と対話するそうです。

キリスト教の選手であれば十字を切るように
まず自分の第一感情が向かうのは神様であり、
周囲の人や場の空気などが
自分と神様の対話している空間に
入る余地がないそうなのです。

というのも、彼らは
「自分を裁くことができるのは神様だけ」
という前提を持っているそうなのです。

だからこそ仮にミスをしてしまったとしても、
そのミスを裁く権利を持っているのは
神様だけと考えているため、
チームメイトや監督、
場の雰囲気やメディアに批判されても
動揺しないのではないか?
というような考察がされていました。


これってめちゃくちゃ面白いですよね?笑

外国人選手がミスをしても
周りに謝るどころか、全く動じていないのは
メンタルが死ぬほど強いんだろうなと
完全に決め付けていたので、
この内容は目から鱗でした。

ただ、
じゃあこれを「真似しよう!」と思っても
今の僕には難しいと感じています。

なぜなら、当たり前の話ですが
たぶん本気で神様のことを信仰しない事には
この思考は成り立たないのからです。笑
#たまに十字を切ることを真似するレベルでは効果はゼロな気がします


じゃあ僕のような
神様を信仰していない人はどうするのか?
ということが今回の本題になります。
#めちゃくちゃ長い前置き


日本人が対話するべきのは
神様ではなく〇〇?


上記で書いたように
なかなか信仰する神様を持たない僕が
真似する事は難しいと思うのですが、
ただ参考にできることはあると思っています。

この記事でこんな記述がありました。

信仰する神様を持たない僕にとっては、
彼らにとっての「神様」がいるべき場所を埋めるのは、
周囲の評価(と少しの自己記述)であり、 
それは時と場合によって大きく変動していきます。
ついさっきのナイスパスや、直近のミスが、
周囲の評価を(空気に乗せて)跳ね返ってきて、
次の僕の精神状態を作り上げます。

思い当たる節しかないな〜と思いつつも、
個人的に気になったのは
(少しの自己記述)』という部分です。

(僕の理解があっていれば)自己記述というのは
『自分のプレーを自分で説明する』
という事だと思っています。
#要するに 言語化


つまり
「なぜ今そのプレーを選択したの?」
と聞かれても、

「今のは〇〇だったから、
このプレーがベストだと思ったんだ!」
と答えられる状態のことだと思います。


そんでもって
この記事での結論を先に言うと...

信仰する神様を持たない選手の場合は
この自己記述が神様がいるべき場所を埋める
存在になり得る
んじゃないの?
と言うことです。

もう少し細かく考えると、
『自問自答しながら言語化すること』
ということです。
#細かく考えたのによりわかりづらくなっちゃった


何が言いたいかと言うと、、、

仮にミスをしてしまったとしても
「今のは〇〇だったから
ミスをしてしまったんだ!」と、

ミスをした瞬間に自分自身と対話しながら
「なぜミスをしたのか?」という
原因を炙り出す (言語化)ことができれば、
一神教徒の選手がまず神様と対話するように
周りや場の空気よりも先に
自分自身と対話ができるので、
冷静さを保ってメンタルが安定する
んじゃね?
ということです。
#伝わっていますか


例えばシュートミスをした時に、

周りの視線を気にしたり
「やべーミスっちゃった...」
とネガティブに考えてしまう前に、

「今のは〇〇が原因でミスに繋がったなぁ〜」

と自己分析することができれば、
意識が周りのネガティブなことではなく
『ミスから学ぶ』ということに向く
ので
メンタルが安定しそうだよね!
みたいなことです。

要するに
「自分の内側にいる
リトル〇〇(もう1人の自分)と対話しよう!」
です。

#本田圭佑選手はだからメンタルが強い


ということで
神様を信仰していない人は
自分と対話をしながら原因を探ることが
重要そうだよね〜というお話でした!


が!しかし!

ここでいう自分と対話する上でも
「これを押さえていないとたぶん効果ない!」
と思うことがあるので、
それもまとめてみたいと思います!

つづく...


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