Yutaro Suzuki-鈴木優太郎-

言語化ダイナミクス。 書く力をつけるためのnote。 伝える力をつけるためのnote。…

Yutaro Suzuki-鈴木優太郎-

言語化ダイナミクス。 書く力をつけるためのnote。 伝える力をつけるためのnote。 継続力をつけるためのnote。

最近の記事

カルマ

283日目 それぞれのカルマ。 カルマとどう向き合うか。向き合えるか。 同じようなことを繰り返す時、 結果的に繰り返してしまっている時。 これはカルマから抜け出せず、変化出来ていない。 カルマを変えていければ、未来は少しずつ変わっていく。 そのためには? 自分のカルマを感じ、 冷静に自分自身の客観視をするしかない。 そして、やんわりと諭してもらっていたこと、諭されていることを思い出す。 あの時のあの言葉、 実はあのシーンはこういうことだったのかもしれないと。 振り返る

    • 民度が上がる時

      282日目 公衆トイレや街の施設のトイレ、 路上のポイ捨てが無くなると国民の民度が上がったと判断出来るのでは?といつも思う。 それでも諸外国に比べたらずっと綺麗なのかもしれないが、 荒れているところはずっと荒れ、 人が集まるところはゴミも散乱している。 何故民度が上がると思うのか? それは、 トイレも普通に使用すればよっぽどのことがない限り汚れたりしない。 よく次の人が入った時を考えてなどと聞くがまさにそれである。 ゴミもそう。 ゴミ箱でないことが分かっていればそこに

      • 今日何が食べたい?

        281日目 1回の食事に対して、 考えて向き合えているかの話。 お腹が空いた。 とりあえずあるものでいいや、 なんとなくそれを食べようとなるのと、 お腹が空いた。 今何食べたい?どんな気分? を、考えて食べるそれは全く違う。 簡単に手に入る時代だからこそ、 深く考えずに満たすことはいくらでも出来る。 コンビニのレパートリーを見るだけでもかなり網羅されている。 大抵のものは食べられる。 今何が食べたい?今日何が食べたい? を踏まえ、ちゃんと選べばいい。 おにぎりが食べた

        • 肌感

          280日目 判断の基準が無く、 釣り合わせることも難しいことが「肌感」。 そして意外とアテになるから面白い。 外観が少し小汚く、 古めかしいお店でも何故かびびっと反応し、入ってみるととても素敵なお店であったり、 立地や条件はそこまで良くない案件だとしても、現地を訪れて何か感じるものがありそれを信じたら良い流れが生まれたり、 どこか気が合いそうだなと一瞬で感じたら仲良くなるまでがとても早かったり。 逆も然りで、 悪いことの肌感も同じ。 根拠はあまり無くても、なんか良くない感

          いいとこ取りの詰め放題

          279日目 スーパーの〜詰め放題。 専用のビニール袋に詰められるだけ詰めるそれである。 隙間が無いように向きを変えたり、入れる順番を変えてみたり、強者になると袋を手で引き伸ばして容積を増やす人もいたりする。 もちろん物体なので、 どうしたとしてもその許容量には限りがある。 では、いいとこ取りの詰め放題は? これはもちろん形のないものなので詰めようと思えばいくらでも詰められる。 いくらでも詰められるのだ。 人の嫌な部分が気になるのは本当に簡単。 そしてずっとそればかりに囚

          いいとこ取りの詰め放題

          言霊

          278日目 言葉の霊と書いて、「ことだま」。 霊的な話ではないが、 言葉に目に見えない力があると思う。 想いは言葉に乗ると信じている。 良いことでも、悪いことでも。 昔は軽々しく「死ね」という言葉をよく使っていた。 もちろん本意ではなく、特に深い意味などない。 ある人が亡くなった際に、 その時初めて命と向き合うことになった。 目の前で「死」を感じた。 何も考えず普段よく使っていた言葉のことが目の前で、もうどうにもならない状況としてそこにある。 それ以来、「死ね」など使って

          目的の明確化

          277日目 目的が明確になっていますか? 目的を明確にさせていますか? 目的を明確にするためには、目的の言語化が必要で、 そもそも全く目的が無い人以外は、 頭の中で思い描いてはいるけどもハッキリしていない、それがどういうことなのか理解しきれていないということが多い。 言われてみれば確かに!と、ハッとする時は大体頭の中でぼんやりしている状態で、分かる言葉で理解出来た時にそれが明確化される。 本を読むことは、 一つその訓練をしていることに近く、 頭の中で思い描く、考えている

          想定人間

          276日目 ある程度の想定はする。 たが、 同時に想定出来ないことも当然起こりうることも想定する。 あまりにも想定人間になってしまうと、 想定出来ないことが起きた時に、何も出来なくなってしまう。どうとも動けなくなってしまう。 まるでメモリ登録されていない出来事が起きた際のアンドロイドのように。 決して想定することを否定したい訳ではなく、 想定出来ないことがあるということ。 その際は瞬時の判断が必要であるということ。 咄嗟の動きが出来る余白、柔軟さ、そもそも想定出来ないこ

          楔を打つ

          275日目 自分自身に楔を打つ。 これは誰かが分かっている必要もない。 誰かに知らせることでもない。 自分にだけ課しておくこと。 その楔を打っているのか、打っていないのかは雰囲気で滲み出れば、大事なところでそれが左右されたりする。 自分にしか分からないのに。 何も分かっていない、考えていない、つまり楔を打たずに過ごしているのか、その逆か。 誰も気付いていない、 わざわざ誰も言われないからいいのではなく自分自身への問いかけ。 それでいいのか?と。 蔑ろにしてはいないのか?

          前例など気にしない

          274日目 前例など全くあてにならない時が来ている。 前例に無いことしか起こらない。 時代の周期を読むことは大事かもしれないが、あくまでも大枠の予測であって断定はもちろん出来ない。 つまりそれもあてにはならない。 前例をいくら考えたところでしょうがない。 あてにならないから自分で前例を作るしかないのだ。 自分自身が前例になる。 それも生物なので、時が過ぎたらそれすらも前例で無くなる。 予測など出来ないことしか起こらないのだから。 むしろ前例になり、前例を作り続ける感覚で挑む

          火のないところになんとやら

          273日目 火があるから煙がたつ。 火が無ければ煙は立たない。 果たしてその火とは一体何なのか。 煙が立った際に、その原因は何故発生したのかを考える。 煙が起こったことをどうこう言うのではなく、 何故煙が出るようなことが起こってしまったのかと。 煙が立つ何か。 火が起こる何か。 何処かしらにその理由は必ずある。 順風満帆なんかある訳がない。 煙が出ること自体一体何故なのか。 ポイントはその追求だと思う。 火のないところに煙が立つわけがないのだ。 事が起こる何事にも根本

          火のないところになんとやら

          自分のご機嫌を400円で買う

          272日目 400円ちょっとで自分の機嫌を買えたら安いもんだ。 400円と言わず、 100円だって、300円でもいい。 いつもは買わないスターバックスのコーヒーを、 今日は買ってもいいかな?という思いで買ってみる。 美味しい、美味しくないとかではなく、 そこで買うことで少し気分が上がる。 そのコーヒーを買う瞬間、飲みながら仕事をすること。 それだけで、 何もないその日と、そのコーヒーがあるその日とでは少し気分が変わること。 それが400円ちょっとで得れるのであれば、決して

          自分のご機嫌を400円で買う

          出来ていると1ミリも思ってはいけない

          271日目 出来ると思うことと、 出来ていると思うことは、似たような表現だが、意味合いは全く違う。 出来るは、 出来ると自分に言い聞かせたり、 出来ると自信を持つこと、奮い立たせること。 出来ているは、 出来ていると勘違いしていたり、 出来ているだろうと何も疑っていないことを意味する。 少しの言葉の違いだが、意味は全然異なる。 出来る、自分には出来る、きっと出来ると思うことはとても大切だ。 だが、 自分は出来ているという考えになってしまうのは危うい。 そういう時に限

          出来ていると1ミリも思ってはいけない

          今日、凄く気持ちがいいと思えること

          270日目 偶発的な気持ちよさではなく、 自ら気持ちがいいと思えることを増やしておく。 気持ちがいいと思える感性を色々なところに散らしておく。 少し早起きし、ゆっくり深呼吸をして気持ちがいいでも、 とても快晴の中、外に出た瞬間に気持ちがいいでも、 側道に咲いている花が美しく、そこに感じる気持ちよさでも、 間に合いそうになかった電車に乗れた時の気持ちよさでも、 ちょっと贅沢して買うそのサンドイッチの気持ちよさでも、 仕事始める前にデスクを整えて始めるその気持ちよさでも、 帰

          今日、凄く気持ちがいいと思えること

          持ち場が綺麗であること

          269日目 常に持ち場が綺麗。 きちんと掃除されていること。 ゴミなどもちろん無く、 乱雑に物が置かれていることもなく、整頓されている。 この綺麗さを更に際立たせるのは、無駄なものがないこと。 シンプルかつ必要最低限。余計なものなど全く無い。 これは仕事云々ではなく、 日常生活でも重要なことだと思う。 常に綺麗であれば、 誰が見ても気持ちがいい。 効率的に動ける。 変に気持ちも荒れずに過ごせる。 何をするにしても、 周りは常に綺麗に。無駄なものを無くす。 必要最低限

          持ち場が綺麗であること

          距離感 

          268日目 付かず離れずの距離感は大切。 近すぎるから良いというわけでもなく、 遠ずぎるから悪いということでもない。 近ければうまくいっている、 近くなければうまくはいっていないという判断は浅すぎる。 近い、近くないでは測りきれない距離感という存在がこの世にはある。 コミニュケーションが上手な人ほどこの距離感の取り方が絶妙である。 定期的に連絡する良さもあれば、 たまに連絡する良さもある。 その関係性もそうだが、 連絡の頻度ではなく、連絡のタイミングがまた素晴らしい。