見出し画像

健康と健全。(2022年10月コラム)

海外のボディワークの本を読んでいると、「Health」という言葉を見かけることがあります。その場合には、一般的によく使われている「健康」という言葉ではなく、「健全」と訳されることが多いのですが、何が違うのでしょうか。

僕の考えでは、「健康」というのは、「数値化できるもの」からできていて、例えば「血圧」や「体脂肪率」など、「測定」することができて、それらを踏まえて「あなたの健康レベルは『B』です」などと、「他人と比べる」こともできます。「定義できる(言葉で説明できる)」と言ってもいいかもしれません。

数値で示されるので、「体脂肪率を落とすために、ジムに通い始めて、5%落とすことができたので、標準値になった」というように、「計画」を立て、「思い通りに数値を操作する(コントロールする)」ことも、ある程度は可能になります。

みなさんの中にも「健康診断」をした後に、「ある数値の異常」が見つかって、お医者さんの「診断計画」によって、「薬を処方される」ことになったという人もいるかもしれませんが、大きな視点から見ると、同じようなことをしているわけです。

「限りなく健康レベルがBに近いAの人」と、「ほとんどA寄りのBの人」との間には、実際にはほとんど「差がない」と思うのですが、後者の人は「自分は健康じゃない」と思って、落ち込んでしまうかもしれませんし、「ふー、今年もぎりぎりAをキープできて、自分は健康だ」と思っているかもしれません。ここが、「数値化」の難しいところです。

少し「不安症」の人などは、「ずっと10年間Aだったのだから、Bになってはいけない」とか、「一つでも基準をはみ出ていたら、健康ではない」という「恐れ(強迫観念)」から、「(過剰な)健康オタク」になってしまう人もいるでしょう。

つまり、「健康」というのは、「(数値化できるがゆえに)崩れやすい」という特徴があるのです。そして、それを崩さないように、「常に努力する」こともセットで必要になってくるのではないかと思うのです。

さて、もう一方の「健全」というのは、「数値化できないもの」から成り立っていると、僕は考えていて、「幸せ」という言葉、感覚にも似ています。

もしも、「幸せの定義」というのがあって、「年収1000万円以上」「結婚して子どもがいる」「年に数回、国内外の旅行に行く」などと、「数値化できるもの(目に見えるもの)」で決まるのであれば、僕は「そんなに幸せではない」のかもしれませんが、僕は今、「とても幸せである」と感じています。

「健康」は、「ちょっとしたことでガラスのように壊れやすいので、それを保つために努力する」というマインドセットにもなりやすいのですが、「健全」というのは、「多少の動揺があっても、たおやかにその衝撃をいなす」ことができるので、「いつも気を張っている必要もない」し、「自然体」でいられます。

デジタルデバイスで、睡眠の質、自律神経の状態を毎日チェックして、パーソナルトレーニングも週に2回受けていて、サプリメントも欠かさないが、少し体調が変化しただけで、スマホでその答え探しに明け暮れてしまう人と、多少の腰の痛さや、血圧の高さがあっても、土に向き合って、いつもにこにこと自分で育てた野菜を食べている農家さんとでは、農家さんの方が「健全だな」と、僕は思ってしまうのです。

いろんなものが「数値化(見える化)」されてしまう現代だからこそ、「健全である」ことを大切にしていきたいなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?