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関心という、たいせつな栄養素。(2024年3月コラム)

 息子が宿題をたくさん学校から持って帰ってくる。今の小学生は宿題が山のようにあって大変だ。僕の子どもの頃は、リビングや台所で勉強していた。そして、晩ごはんの用意をする母親にわからないところを教えてもらったり、逆に、母親が知らないことを教えてあげることもあった。「大友さん、教えるの上手ですね」と言われることもあるけど、この時から、「人に何かを教える」のは好きだったのかもしれない。

 出身の秋田は、いわゆる「全国学力テスト」のトップに何度もなっている県である。その特徴として、「学習塾に行く」のではなく、「家族が宿題をやっているのを見守る」という割合がすごく高いらしい。そのために、「自分の部屋にこもって勉強する」というよりも、「家族がいるリビング、台所で勉強する」とのことだが、特に意識したことがなかったけど、僕も高校生になっても、自分の部屋で勉強することはなく、家族がテレビを見ている横で、黙々と宿題をするタイプだった。

 これって、子どもが公園などで鉄棒、縄跳びなどをする際に、「ねぇ、見てて」という行為の延長なんだろうと思う。その時に、親がどこか違う方向を見ていたり、スマホに夢中だったりすると、「ねぇ、見ててって言ったでしょ」と怒られてしまう。おじいちゃん、おばあちゃんがベンチに腰掛けて、「にこにこと見守る」だけで、子どもは「自由に遊ぶ」ことが可能になる。「見守られている」という「安心安全」が確保されるので、「探索、探検行動」としての「遊び」が発現してくる。

 さらに、これのもっともっと「元」を辿っていくと、「母親の関心を欲しがる本能」に行き着く。僕たちは、誰しもが「誰かの助けがないと生存できないほどに、未熟な存在」で、この世に生まれてくる。自分の力だけでは、食べること、寝ること、排泄すること、動くこともままならない。「母親の関心、興味を独占することで、未熟な時代を生き延びる」ということだ。

 「スマホばっかり手にとって舐めようとするんですよね」という時の「スマホ」は、「母親の関心の中心」ということであって、それが「財布」「テレビのリモコン」「車の鍵」になったりする。そうやって、「母親の関心」を「自分」に向けようとするのだ。

◯生存、交流、学習
◯反射、反応、対応 
◯回避、適応、探求

 子どもの「発達支援」を長年されてきた「灰谷孝」さんという方が、上の並んだ言葉を紹介していた。それぞれの行で、右に進むにしたがって、より「成長、成熟」へと向かうということだ。

 最初は「生存」のために、「(主に母親の)関心」を集めた子どもは、周りの環境に「適応」しながら成長するにつれて、しだいに「遊び(探求)」を始めるようになる。さらに、「安定した、十分な関心」を受けた子どもたちは、自ら「学習」をするようになるということ。うちの息子も、まだまだ「関心の食べ盛り」なので、もっともっと「一緒に宿題をする」ようにしたいなと思います。

「誰かに関心を持つ」って、ものすごい「栄養」になるんですね。

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