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【雑感】人間の怠惰性:備えることの難しさ

昨日は、家を出るのをためらうくらい寒かったけれど、鼻が感知する花粉の量からすると、春は、もう目前に来ているのだろう。
巷では卒業イベントが行われていて、また、小学生からは学校が春休みなったとかいう話も聞き、たしかに春の訪れを感じるとともに、卒業シーズン特有の寂しさに駆られるのである。

さっき、急に思い立って、1月1日から放置してあったリュックを片付けた。日本代表のユニフォームから、双眼鏡やカイロ、お土産にもらったリストバンドなどを取り出して片付ける。そういえば、今度の北朝鮮戦は流れたらしいけれど、アジアカップ前の日本代表の強化試合を観に行っていたのである。もはや、結果がどうだったかはまったく覚えていないけれど、試合後、競技場を出て、千駄ヶ谷駅に向かう途中に地震が起きたのだった。NHKアプリやYahooアプリが警報を鳴らし、震度7を知らせる。とにかくダッシュで職場に向かった。一度PCを取りに家に寄ったが、地震発生の30分後の16時40分にはなんとか着くことができた。

それから、まもなく3か月が経とうとしている。3学期はあっという間なのは通常(1月は行く、2月は逃げる、3月は去るとか…)だが、今年は輪をかけた速さだった。同時に、発災直後、災害対策本部を連日開催していた頃がはるか昔のことのように感じる。(いつも思うのだが、時間が過ぎるのが早くても、必ずしも昨日のように思い出せるということはなく、時間の過ぎるスピードによらず、今から過去までの絶対的な距離は変わらないか、むしろ、時間速度が大きいほど、過去との距離も大きくなるような感じがする。)

僕は、国の職員という立場で、今般の能登半島地震の対応に携わっているが、ここで、どんな対応をしてきたかを紹介する気もないし、評価する気もない。そもそも、組織の役割分担として、つねに在京が求められる役回りのため、いまだ現地を見たことすらないから、そんなことはできない。
しかし、その上で、この3か月で感じたことを文章化しつつ、自省したい。

防災=「備える」ことの難しさ

「人間は(本質的に)怠惰な生き物である。」
ということは、これまで生きてきた中で、自己の経験として、真理だと感じてきた。人間は、本質的には怠慢(怠惰)であるからこそ、それに打ち勝ち努力できた人が称えられるわけである。楽をしたいという願望は万人共通であり、きっと、人類の文明発展の機動力だったのかもしれない。(少し話がそれるが、怠惰を極めた行きつく先として「堕落」という言葉があるが、英語学習者的には「slippery slope」と語感はまったく同じだなと興味深く感じる。)
簡単に思いつく例は、夏休み最終日の学生であろう。やはり、〆切のギリギリにならないと、やる気は起きないわけである。それが人間の性である。(僕自身、学生時代は、〆切前日に泣きを見る方ではなかったけれど。)
そんな状況で、はたして、
〆切が「ない」場合、どうなるだろうか?
宿題の〆切がない=提出がないのに、宿題(提出がなければもはや宿題ではないが)を完璧に仕上げておくような学生は希少だろう。そのことにより彼のレベルがあがるから望ましいことなのだが、他に、〆切のある宿題がたくさんあった場合、どうするだろうか?
どれほど殊勝な学生でも、〆切があるものを優先するのではないだろうか、、、

というように考えていくと、
人間の怠惰性に裏付けられた、防災(ここでは、平時から発災に備えて準備しておくこと)の構造的難しさが理解できると思う。
なお、ここでいう「〆切」というのは、未来の発災日Xデーであるが、実際には、〆切は「ない」のではなく、「明日」の可能性もあるのだが、どうしても、通常の人間には、「ない」ように思えてしまうから極めて厄介なのである。
つまり、防災(特に事前防災)という政策分野は、
起こる可能性がない・低い(と勘違いしてしまう)事案への対処にどれほどのコストを割けるだろうか。しかも、目の前に対処しなければならない課題が山積している状況において。
という難問だと捉えることができるかもしれない。
(などと書いていて、怠惰の性というのは、コストを忌避するという意味では合理的とも言えるのかもしれないと思った。けれども、コストの観点から言うと、起こる可能性はわからないが、起こった場合に準備していないと過大なコストがかかるという認識に立てば、準備を怠らない方が合理的かもしれない。)

さらには、防災の世界ではよく自助・共助・公助などというけれど、怠けてしまう自分を奮い立たせて、殊勝に取り組めばそれでよいというものでもない。災害による被害を少しでも減らすためには、組織として対応することが求められる。つまり、〆切のない宿題に自ら取り組むような優等生集団を作らなきゃいけないわけである。

実経験がないと自らが被災することを想像するのは難しいけれど(正常性バイアスという概念もある)、〆切が「ない」という誤解をとくというところがポイントなのではないかと思ったりするが、今日のところはここらへんで。


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