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【雑記】谷川嘉浩『スマホ時代の哲学』を立ち読みした

谷川嘉浩『スマホ時代の哲学』は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』から以下の文章を引用することで始まっていた。

君たちにとっても、生きることは激務であり、不安だから、君たちは生きることにうんざりしているんじゃないか?(……)君たちはみんな激務が好きだ。速いことや新しいことや未知のことが好きだ。―――君たちは自分に耐えることが下手だ。なんとかして、君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。

ふらっと立ち寄ったブックカフェで立ち読みをした(厳密に言えば、コーヒーを飲みながら、パラパラとページを繰った)だけであるが、概略、以下のようなものだった。(デザインがかわいく、また、字が大きく、パラパラ読むには最適の本であった。)

シェリー・タークルという人が定義したらしいが、現代の「常時接続」の世界において、マルチタスク的にいろいろなことを同時に慌ただしく行う。物理的な「ここ」にいながら、別のコミュニケーションに参加することが可能となり、例えば、友人とカフェをしながら、別の友人のLINEに返信し、別の友人のInstaのストーリーにいいねを飛ばし、Tiktokkerのしょうもない動画を横目で眺める。(谷川氏はもっとわかりやすい例を用いていた気がするが。)

そういった同時並行的なマルチタスクをこなすことで、生きることを「激務」たらしめて、新しいことなどを好き好むばかりで、自分を忘れる。

即時的な満足を与えてくれる感覚刺激やコミュニケーションにいつでもアクセスできる状況において、せわしくなくそれにつながることに忙しくし、(つながることが自己目的化し、)何一つ集中していない希薄な状態となる。そこでは、自分の感情に浸ることなく、自分自身の内面と向き合うことはない。
“connected, but alone”
ということになる(これもシェリー・タークル)。

言い得て妙だと思った。
(繰り返すが谷川氏の本もパラパラめくっただけだし、タークル氏の本もまったく読んでないし、理解は浅い。というか、間違っているかもしれない。。)
和訳すると、「つながっているけど、alone(孤独?ひとり?さびしい?虚しい?)」なのだろうが、「(バーチャルに)つながっている『から』(そこでの消費に精いっぱいになり)薄くなる・浅くなる・虚しくなるということ」なのかもしれないと思ったり。。
個人的な感覚に引き寄せてしまえば、誰からもLINEは来ないし、FacebookもInstaも頻繁に更新するわけでもなく、つながってすらいないような気がする状況において、めったに来ないLINEを待つよりも、何かを得ようと開くFacebookでしょうもない動画を眺めるよりも、つながりを絶ってみる(ゼロにしてみる)のもいいかもしれないと思ったり。(もちろん、そんなことはしない。ただ、逆に、例えば、Instaへの投稿を頻繁に行ってみるかと思ったが、虚しさが増す気がして、やめた。)
「アテンションエコノミー」という概念があるらしい。情報の内実や質よりも、人の注目それ自体が価値を持つ社会圏。たしかに、そこでの活動は虚しさを募らせるだけだろう。

いろいろ思考をめぐらす中で思い至るのは、どれだけ情報通信機器が発達したとて、やはり、大事なのは、物理的な人と人との付き合いであると思った。コミュニティとかそんな大層なものでなくていいとは思うが。
確実にひとつ、「仕事」というつながりは存在するが、やはり、そういうものは複数存在することが個人のレジリエンス的には望ましいのは間違いない。
が、現代社会において、それを見つけるのは(意外と?)かなり難しいという現実に直面している。自治会とか町内会の衰退ということなのか。そんなものは生まれたときからなかった気がするが。(子ども会のようなものはあったが、それも単身男性にはまったく縁がない。)
これだけの人口密度がありながら、みなそれぞれ1人(1世帯)で生きているということ。極めてisolatedだということ。かなりの人口がいるのに、各々が独立している世界は、何か不思議な感じがする。(そういうモチーフ画をどこかで見たような気もして、面白いイメージが頭の中にぼんやり浮かんでいる。)
“gathered, but isolated”
とでも言えるだろうか。。

実体的な他者とのつながりを見つけた方がいいとは言いつつも、大人になってから習い事を始めるのも、サークルみたいなものを探すのも億劫だし、仮に、運よく見つけたとして参加するのはそれはそれで面倒に感じたりもする。(いずれ、パートナーが見つかれば、閉ざされたprivateな世界を充実させることで、寂しさは解消されるのかもしれない。子どもがあれば、子ども会とかPTAとか、その関係で少しsocialな世界にも開けるかもしれないし。)

最近は、「仕事」の関係性をプライベートまで拡張するのは忌み嫌われる傾向があるし、 “coonected, and fulfilled” になるにはどうしたものか。と思うわけである。
バーチャルにはつながりやすくなった世界で、(それが故にアテンションを得ることばかりが先行し、)実体的なつながりが希薄化した社会で、似たような漠然とした不安を抱く者が増えているのではないだろうか。それが、近年注目されている孤独・孤立問題の根源的な理由なのかもしれない。と思ったり。

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