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海の家ちどりバーベキュー進化論② 気弱な店主

3時間制のバーベキューが誕生し、問題は解決すると思った。しかしそれは、皆が3時間で帰ってくれたらの話だ。

ここで僕がいかに気が弱く、恥ずかしがり屋のこどもだったのかを話そう。

僕は人生のほとんどの夏を家業である海の家ちどりで過ごしてきた。

子どもの頃のちどりは、親達は親戚一同で切り盛りしていたので、夏が始まれば従兄弟たちが集まり、夏の終わりには皆が帰り、大量に残された宿題を泣きながらやるのが毎年の恒例だった。

兄弟と従姉妹合わせて、1番の恥ずかしがり屋だった僕には、絶対にできない事があった。

回転寿司での注文だ。

親たちに手伝ってもらおうが、従兄弟のお兄さん、お姉さんに手伝ってもらおうが、定員さんにまで手伝ってもらおうが、
どうしても、どうしても、
「たまごください」が言えなかった。

堂々と注文ができる従兄弟達に憧れていた。

こんなエピソードもある。

僕が小学6年生の時、ジャニーズのTOKIO御一行様が雑誌の撮影で小針浜に来ていた。予定も予約もなかったが、常連さん達も集まって急遽、皆でバーベキューをする事になった。
大人数でTOKIOを囲んだ楽しいバーベキューパーティの中で、ドラムの松岡さんが自分で焼いた焼きそばを僕に薦めてくれたのに、恥ずかしくて恥ずかしくて頑なに食べようとしなかった、、、めっちゃデブなのに。
(小学校時代たけのこクラブという肥満児の放課後教室に通っていた)

人前で堂々としている従兄弟達にいつも憧れていたのを覚えている。

その後、憧れの姿に向かって特訓を重ね、
高校時代はバンドでステージにもたったし、
飲食店の接客業などで流暢に会話することも覚え、スケボーで精神も鍛えた。初めて会う人とすぐ仲良くなれるようにもなった。

それなりに克服してきたとはいえ、
海の家を継いだばかりの僕は、まだまだ経験が浅く、夏の海の開放感の中、バーベキューをしながらお酒を飲んで楽しんでいるお客さんたちに時間通りに帰ってもらう事ができなかった。

制限時間のルールを作ったのに、守ってもらえないことが悔しかった。仕事がおわらないと自分だけでなくスタッフも困ってしまう。僕はもっと強くならなければいけなかった。

またしても皆が幸せになれるよう考えた結果。
3時間以降は延長料金にする事を考えついた。
あまりに素晴らしい考えに、稲妻に打たれた感覚だった。

これで間違いなく3時間でみんな帰ってくれると思った。

つづく

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