【history①】幼少期を振り返る(124)
どうも!裕太郎です!
私について一度書き記したいなと思い、私の「history」として、自己紹介の様にシリーズで書き留めておこうと思います。
私を知りたいっ!
という愛溢れる方だけ見てください。笑
それでは、小学生に上るまでの0歳〜5歳についてまず書いていきましょう。
◎元気な子供
私は埼玉県北部の町に生まれました。
明け方に生まれたと聞いた気がしますが、安産で母親への負荷は少なかった様な話だったかと思います。
昔の写真を見るとまん丸でムチムチした赤ちゃんでした。
3600gぐらいだったかなと?
あいにく昔の写真は持ち合わせてないですが、可愛かったとご想像ください。笑
物心ついたあたりから、絵の具で絵を描く様になり、友達宛に描いた絵が母親的には天才的だった様で、一次期将来は絵の学校に通わせよう!と話題に上がったらしいですが、絵の世界で食べるのは厳しいと、断念したそうです。
あいにくその絵も、当時私が友達にあげたい!と言い張り、手元に記録はありません。
話を聞いて、私も当時描いた絵を見たくなりましたが、きっとこの世に残ってない事でしょう。残念です。
◎名前の由来
私の名前は「裕太郎」です。
小学校の時の授業で、自分の名前の由来を調べるという機会があり、その時に聞いた話だと、
「裕」は心がヒロイ人になる様にという意味と、両親が石原裕次郎を好きだったから、そこから「裕」を取ってつけたとの事。
「太郎」はおじいちゃんの名前に入ってたのと、長男という事からつけられました。
そんなこんなで裕太郎の爆誕です!
父、母、
思った様な息子になれたでしょうか。
◎幼稚園
保育園ではなく幼稚園に通ってました。
どう理由でかはわかりませんが、近所の子は近くの保育園などに通ってましたが、私は車で20分ほどかかる隣町の幼稚園まで送り迎えしてもらってました。
なので幼稚園を卒園すると、小学校は友達とほとんどがバラバラになってしまいます。
とても環境が良い幼稚園だったかなと思います。
よく周辺の自然をお散歩してたのが懐かしいです。
◎双子に初めて恋をする?
その幼稚園には瓜二つの双子がいました。
卒園アルバムを見ると、本当に似過ぎていて、昔の自分はどうやって見分けていたのか知りたいくらいです。
卒アルにもよくその子の名前が出てきたのと、中学の時にその子のお母さんと交えてご飯に行く機会があり、そこで話を聞くに、双子が家に帰ってきて私の名前を話題に出すくらい仲良かっ たみたいです。
おそらく両思いだったのではないかと図々しく考えさせていただき、卒園間際になった時にその双子から言われた言葉が今でも色濃く記憶に残ってます。
雑巾置き場の近くで、双子の女の子2人と私で話している時、「ねえ、どっちの方が好き?」と聞かれました。
この質問にとても困惑したのを覚えてます。
なんせ2人ともとても似てたから。
この質問に対して慌てふためき、出した答えは「そんなの選べないよ」というなんとも優柔不断なふんわりした言葉でした。
いい思い出です。
双子とは音楽繋がりでご縁があり、今でも仲良しです。
◎まとめ
ざっくりと幼稚園までを赤裸々に振り返ってみました。
思い返すと色んな思い出が蘇ります。
あの頃の自分に会ってみたいですね。
タイムマシンができたら、友達宛に描いた絵の記録だけ残しておこうと思います。
皆さんも是非昔の自分について教えてください。
それでは!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?