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にゅーろーる

「和食の料理人」

「夫」

と言うたった2つの役割を持つ普通の30代男性

ゆーたろー です。

何個も肩書き持ってる人って、なんかカッコ良いですよね。

忙しいそうで僕は嫌ですけど。どっちやねん。

と言うわけで今回はそんな僕に「父親」と言うもう一つの肩書きが増えたことについて書こうと思います。


目次

ニューヨークでの生活中に妊娠発覚
妊婦の妻を持つ夫としての生活
そろそろ生まれるよ?
生まれました
今思うこと


ニューヨークでの生活中に妊娠発覚

2019年7月17日。

妻からのテレビ電話にて僕は妻の妊娠を知りました。

はい、テレビ電話にて。

そう、この時僕は会社の異動でニューヨークにいました。

正直、驚きすぎてどんなリアクション取ったのかは覚えていませんが「え、お母さんにはもう伝えたの?」と言う僕の質問に対して妻が「とっくに知ってるよ!」とあっけらかんに答えられて「「とっくに」って、もうちょっと急いで連絡くれても良かったじゃ?」と心の中でひっそりと呟いたのは覚えています。

とは言え、東京から飛行機で13時間離れたニューヨークの地から妻にできることなんて無いに等しく、おまけに出張期間が6月下旬〜9月中旬だったため直ぐに帰ることもできなかったので、大人しく「妻の悪阻がいかに酷いのか」と言う速報を毎朝聞くのが日課でした。妊婦を持つ夫はリモートワーク機能が弱めですね。

おかげさまで「妊娠初期って流産の可能性も高いし..まだみんなには言えないかな...」「でも、今のワンルームじゃ家族3人は暮らせないよな...引越しか...」「て言うか、俺さっさと日本帰るべきなんじゃ...」なんて心配が仕事を終えた帰り道の途中で脳内をうろうろしていました。まあ、心配なんてうろうろしたって行動に移さなければ何の役にも立ちませんけど。

というわけで、生産性が薄めの日々を過ごすと言うのが妊娠初期に妻がつわりと戦っている時の僕の父親としての思考でした。はい、距離には勝てませんね。

遠距離恋愛しているカップルの方、本当にすごいですわ...



妊婦の妻を持つ夫としての生活

ほとんど「父親」として何もしなかった妊娠初期を経て、9月中旬〜1月末の期間の僕は活発でした。

転職活動、育児系の本の読書、引越し、新しい職場への順応…

「父親」と言う新しい役割を担うという事に合わせて色々と大きく変化した時期だったと思います。

さっくりと忘れていましたが、ざっくりとこのnoteにまとめてました。

一方で、妻の体調の方は上向き。

僕がニューヨークに滞在していた時に本当につわりが酷かったのかと疑うほどに元気。むしろ、「周りの人で布団を持ったことが原因で流産した人がいる」という話を聞いてしまった僕の方が過保護に気味でした。

おかげさまで、弁当のおかずに豚肉のハーブ焼きみたいなものを入れてしまった事を今だにしっかり覚えています。あの時の後悔ったらなかったです。

余談ですが、妊婦さんは特定のハーブの香りを嗅ぐと子宮が収縮するらしいので(特に妊娠初期は)気をつけた方が良いですよ。

ついでですが、食べ物関連で言うとお刺身は種類と質を選べば大丈夫。
マグロや二枚貝は基本的にNGですが、新鮮な白身魚を少量食べるぐらいなら問題ないそうです。まあ、妻の母は「妊婦の時に寿司を食べまくってた」らしいので何とも言えませんが。苦笑

ただ、わざわざリスクを犯す必要はないので最新情報を調べ続ける事って大切だなということを改めて実感したのも事実です。

一説によると15年前の医学の知識の80%はアップデートされているようですし、現在でも書店に並ぶベストセラー本である「ファクトフルネス」にも似た内容が供述されています。科学の進歩ってすごいね。

というわけで、科学の進歩にも助けられ、この時期は慎重ながらも楽しく過ごせたと思います。


そろそろ生まれるよ?

「予定日が3月9日だとすると、その3週間前には生まれる可能性がある」

という事で、結婚記念日ということもありそこそこ良いホテルに泊まってきました。子供が生まれたら気軽に行けないですしね。

この時期になると、妻の見た目は「どこからどう見ても妊婦」でした。何するにも大変そう。

トイレも近くなるし、腰も痛くなるし、肩もこるしで噂には聞いていましたが、いざ自分がその状態の人を目の前にすると「大変そうだな」と改めて感じさせられました。

おかげさまでこの妊婦マークに対する意識が強く働きすぎて、電車や店の中でこの妊婦マークをつけている人をよく発見しました。30年も生きていて一度も認識したことなかったのに。カラーバス効果って本当にあるんですね。

一方で、当の本人は余裕のある生活を送っていた模様。

2月から産休に入った上に、やろうとしていた赤ちゃんのための準備も大部分を終えてしまえば後は陣痛を待つのみ。

むしろ陣痛がいつ来るかわからないためそんなに遠くも行けないしで「私、今、余裕があるから色々と許せる」と自分で言っていました。

でも本当に「余裕を持つこと」って大切なんですよね。日々をジェットコースターのように刺激的に生きる人生もまた面白いのかもしれませんが、余裕から生まれる思考の方が人生を味わい深いものにしてくれる気がします。

火事場の馬鹿力も時には大切かもしれませんが「今」を味わう事って「やりたい事をたくさんやっている」と近いようで遠い存在同士な気がするのです。

そんな「余裕」に出会えたのが「おそらくそんな余裕はしばらくこない」であろう、出産直前の時期でした。


生まれました

2020年3月17日 6:50

娘は都内の某病院にて誕生。

名前は「一々希」

「一つ一つ、自分の希望に向かって進んでくれると良いな」と思いつけた名前です。実に良い名前ですね。

とは言え、初産ということもあり陣痛がきてから14時間、予定日よりも8日遅れての誕生でした。母子ともに健康で本当に良かったです。

ざっくりとレポートしますと、3月16日の朝に病院に入り、午前10時ごろに陣痛剤を打ち、6時間後ぐらいにはガッツリとその陣痛剤が効いてきたという事でだいぶ痛みが増してきて、そこで陣痛剤を投与していた点滴を一旦取りました。

「一旦取って、明日また打ちましょう」なんて話をしていたらその後も痛みは和らぐ事はあったものの、収まる事なく僕も背中をすりすりしながら時間と共に陣痛の痛みも増していきます。

若干汗ばむくらいにすりすりし続け、23時ごろになったところで「こりゃ生まれるかも知れねえ」という事で分娩室に行ったのですが、23:50に「ちょっと直ぐには生まれないかもね」という事で僕は一旦仮眠を取るために病室へ。(妻はその後もバランスボールに乗ったりもしていたそう)

浅い眠りのまま布団でゴロゴロしていたのですが6時頃、僕の寝ていた部屋の呼び鈴が鳴り「そろそろ生まれる!」という事で分娩室へ。

そこからは妻がひたすら頑張り(僕は勝手に若干体調悪くなってました。なんかすいません。)、娘が誕生しました。泣く声を聞くと安心するってのは本当にあるんですね。

で、第一印象としましては「こんな可愛い生物を見たことがない」でした。

はい、事実ですから仕方ないです。

とりあえず言えることは娘の誕生と共に「親バカになることが確定の父親」も誕生した。という事だったと思います。



今思うこと

はい、そんなわけで父親になった僕ですが現在の心境としてましては「満足」の一言です。

普通の父親だったら(?)「この子にはこうこうこうなって欲しい!」「学力が大事!」みたいな、色々な野望があるのかも知れませんが実は今の僕はそういうのがあまりありません。

「好きに生きて欲しい」それだけです。

というのも、子どもなんて親の思い通りに生きないのが当たり前だと思いますし「性格の半分は遺伝子、もう半分は友人関係でできる」なんていう研究結果もあるぐらいなので「親の思い描く理想の人生」なんてのはその子に取ってみたら大したものじゃないんじゃないかな、なんて思うからです。

それに、元気な顔見せてくれただけで十分親孝行してくれました。

「親は生まれた瞬間に親孝行を完了させている」なんて言葉を僕は全く信じていませんでしたが、どうやら事実だったようです。さすがは先人の教え。

というわけで、新しい役割である「父親」が増えた僕ですが、基本的には変わらずに妻や子のお手伝いをしながら楽しく生きていこうと思います。

成長が楽しみです。笑顔で生きてくれると良いな。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

そんな感じで、今日の話は終わります。

では^^

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