見出し画像

月曜日の朝、スカートを切られた 前編

「月曜日の朝、スカートを切られた」

 これはある曲のタイトルだ。こんな政治的とも社会風刺ともとれるメッセージをタイトルだけでなく曲全体で主張するグループがいる。それは熱狂的な人気を誇った欅坂46だ。この曲は欅坂が唯一出した(ベスト盤除く)アルバム、「真っ白なものは汚したくなる」の1曲目を飾る曲だ。

「月曜日の朝、スカートを切られた」を好きになれない理由

 発売以来毎日朝から晩まで聴き倒したアルバムの中でも、この曲だけはほとんど聞くことはなく、アルバムリリースと同時に開催された全国ツアーに参加した日のことを思い出したい時にだけこの曲を聴く。他のどの曲にもその曲とリンクする思い出や記憶があるが、ほとんど聴くことがなかった故に僕の初ライブ参戦の記憶は幸か不幸かこの曲と結びついているからだ。
 この曲に明るい雰囲気はない。悲痛な声にも似たメンバーの「Oh...」という歌詞で曲が始まる。実際にスカートを切られたことを歌っている曲なのかどうかはともかく、この曲には少女の「学校」という制度へ対する不満、そんな「制度」を作り、満足している「大人」への不満が歌われている。おそらくは、そんな「大人」の集団である「社会」に対して何かしらの不満を抱いている者にスカートを切られたのではないだろうか。あるいは「スカートを切られた」という行為自体が何かのメタファーである可能性もある。曲の解釈や考察はともかく、僕はそんな曲が好きにはなれなかった。

上野少年、欅坂46と出会う

 そもそも、僕が欅坂46と出会ったのは2016年のことだ。それ以前からもAKB48やら他の48グループを好きだったこともあり情報や曲に触れることはあっても「ふーん」と言った具合だった。そんな2016年は僕が高校に入学し、その半年後に中退するという怒涛の1年を過ごした年だ。出会いはその年の夏、当時所属していた高校のアメリカンフットボール部の練習で多摩川の河川敷に渋谷から東急東横線で向かっていた時だ。どういうキッカケで「サイレントマジョリティー」を聴いたのかは覚えていないが、おそらく一過性の流行りではなく、確実に人気が出てきていたからだと思う。そんな浅はかな理由から聴いた僕は「サイレントマジョリティー」に感動した。朝早くだったこともあってか、それ以上でもそれ以下でもなかった。感動し、勇気付けられたものの、お気に入りの曲のプレイリストに数ヶ月追加していた程度だった。

 そして、とっくに高校を中退し、カナダへの留学も決め、1年を精算しようとしていた12月31日、紅白歌合戦で観た欅坂46に感動した。今度は年の瀬で感極まっていたこともあるだろうが、一目惚れした時のような胸の苦しさとズーンと頭が熱くなる感覚があった。
 年明けから僕は欅坂に染まっていった。まとめサイトや公式サイト、Twitterなどを駆使し、某国のエシュ◯ンやらPR◯SMの如く情報収集に奔走した。とは言え、「遠距離ポスター」よりも遠い距離(日本とカナダ)は国内の情報収集が大変だと思い、曲を聴く程度だった。

 そんなミーハー欅坂ファンだった僕は年が変わって2017年の4月にリリースされた「不協和音」に衝撃を受けた。アイドルがここまでやれるのか、今の10代に必要なのはこんなロックで、反社会的なメッセージだ!と当時16歳の上野少年は感じた。留学生活が始まって2ヶ月が経ち、環境に慣れ始めたと同時に陰湿なアジア人(主に日本人)コミュニティを嫌いになり始めていた頃だった。

 それ以来、YouTubeで漁れるだけ欅坂の動画を漁り、どんどん欅坂のツボにハマっていった。当時取っていた英語の授業(日本で言う国語の授業)の最終プレゼンでは「サイレントマジョリティー」を英訳して取り上げた。

上野少年、推しメンに手を振ってもらう

 そうしてあっという間の1学期を過ごして夏休みを迎えた。遂に日本の地を踏んで、欅坂を推せることになった喜びは今でも覚えている。そんなドブドブにハマった僕から搾り取るように1stアルバム(最初で最後のアルバム)がリリースとなり、全国ツアーも発表された。馬車馬のように焼肉屋でバイトしていた僕にはそれなりの「資金」があり、それを惜しげもなく”投資”し、なんとか幕張メッセ公演の1日程を当て、初のライブ参戦が決まった。
 当日、会場に並んでいる兄ちゃん達の茶髪・金髪率は以前見物に行ったAKB48の東京ドーム公演とは比べ物にならないほど高かった。
 若干ビビりながらも、周りに合わせ首にランボーの弾丸ベルトのようにメンバーの名前が入ったタオルを巻きつけていたが、周りに合わせ、その内のいくつかをズボンにつけて涼しい顔をして席へ向かった。隣の席にいたほろ酔い状態のおじさんとなんとなく仲良くなったところでULTRAにいるのでは!?と勘違いしそうなEDMが流れ始めた。圧倒的な重低音と音量のデカさに若干引いたが、徐々に緊張が解けていき、欅坂のOvertureが始まった。これはいわば声出し練習で、ここで声が出なければ勝負に負ける(何の勝負かは分からない)。
 そうして遂に人生初のライブ、人生初の生欅坂が目の前に現れた。大興奮の中数曲が終わり、MC(曲間のトーク)に入った。進行は推しメンのゆっかー(菅井友香)。僕という存在に気づいてもらうためにはここしかなかった。どういうわけかわずか数曲後には枯れかけていた喉を振り絞って「ゆっかーァァァァァァァ!」と叫んだ。正直、本当に僕に手を振ってくれたかどうかは定かではないが、僕の脳内のウィンストン・スミスは手を振ってくれたことにしてくれている。ゆっかーも歌うアルバム収録曲、「青空が違う」では上京した彼氏に会いに行く彼女が歌われているが、カナダと日本という離れた距離は僕にその曲への愛着を湧かせるだけでなく、ゆっかーに単なるファンを超えた感情をも生んだ。
 アイドルに半ばガチ恋するという驚きのイベントが発生したが、何かが待ってくれるわけでも、渋谷の交差点で偶然目撃することもなく僕はカナダへと戻り、ひと夏の恋(?)は儚く散った。


「月曜日の朝、スカートを切られた 後編」につづく 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?