4ヶ月間高校生と向き合って
4ヶ月間。そう聞いて短いと率直に思う人はどれくらいいるだろうか。
感覚としてそう早いスパンはあまりないのではないだろうか。真夏の8月にクリスマスの話をするようなものだ。
そんな長期に渡って、川崎市と僕が所属する認定特定非営利活動法人カタリバが行う、「川崎ワカモノ未来プロジェクト」(通称カワプロ)に参加していた。この事業は、高校生が川崎市内をフィールドに様々なプロジェクトに取り組むというもので、課題発見とその解決を目指すものである。
そのカワプロでの僕の役割はメンター。担当する高校生のプロジェクトの立ち上げからアクション、振り返りの全ての過程に伴走する。2週間に1度のスパンで行われる、「カワプロカフェ」なる伴走をオフラインで行う定期イベントでのフォローと、LINEを使ったオンラインでのフォローの2つに大きく分類できる。特筆すべきは食事代も交通費も一切でない、完全なボランティアであるという点だ。
そんなカワプロで僕が持った高校生は、神奈川県内の有名私立進学校に通う市内在住の高校1年生だった。そんな彼との4ヶ月は過去にも先にもないほどに苦しいものであった。
カワプロが始まった8月、2週間毎に開催されるオフラインイベントで進捗を聞いても彼に特段変化はない。なぜだろうか、どうしたら彼のプロジェクトは進むのだろうか。
始まって1ヶ月経った9月。やはり大きな変化はない。マイナーチェンジが続く日々であった。
僕は今までの傾聴・受容・応援のスタンスをやめて、彼にとってチャレンジングな存在になることを決意した。はっきり言って、そんなことは本来あってはいけない姿であったと思う。彼らのセーフプレイスであるべきメンターが彼らにとってチャレンジングな存在になってしまう。このことが最大の懸念だった。
しかし一方で、彼の持つアイデアや計画にメスを入れる存在がいないことも理解した。イベントにゲストメンターとして参加される地域の大人の方々は、当然初対面の高校生相手にあえて厳しい言葉を投げることは絶対にない。彼らのプロジェクトと彼らのエンパワーメントになるようなメッセージを投げる。であれば、彼らのプロジェクトをさらに良いものにするためにあえて厳しい言葉をかける人であることも必要なのではと感じた。正直、この姿を運営はメンターに望んでいなかったと思う。
それでも僕は彼にとってチャレンジングな存在であることを決意した。僕は一方的に彼はそれで伸びるタイプだと信じていた。
それからの3ヶ月は彼と僕にとって毎回が挑戦の場であったと思う。彼にとって見れば、いつも頑張って考えて持ってきたものにフィードバックを容赦なくしてくるメンター。もっと成長して欲しい、もっと頑張ってほしいそんな期待がありながらあえて厳しく接する。アメとムチのアメは他のメンターやゲストメンター、運営、共に頑張る同期の高校生など探せばいくらでもいると思った。
それでも正直、僕も辛かった。短期的な成果、結果に囚われすぎて焦りがあった。本当にこのやり方でいいのだろうか、本当に彼はこれで平気なのだろうか。不安で不安で仕方がなかった。彼にとってサードプレイスであるべきこの「カワプロ」や「カワプロカフェ」という場が心の安心・安全な場でなくなってしまった時、僕にはその責任は取り切れない。不安と恐怖しかなかった。
それでも、遅々として進まないタスクに対して具体的な施策や計画を考え、どうしたら自分でやれるくらいのものにブレイクダウンできるのか。もしかしたらリアリティが強すぎたのかもしれない。
だからこそ最低限、顔が見えないLINE上や電話では絶対に厳しい姿勢でいないことは徹底した。リスクがあるだけに、彼の顔や表情が見えない状態でそれをすることは誰のためにも良くないと思った。
そうして時が経ち迎えた12月。今までの成果を参加してくださったゲストメンターをはじめ、川崎市の副市長などにプレゼンする。僕はプレゼン準備をした前日、当日の準備時間までもその姿勢は崩さなかった。最後の最後まで彼と僕なりの本気で向き合った。一番に伝えたいことは何か。本当に見て欲しいことは何なのか。僕は絶対に導かない。あくまで彼に考えて答えを出してもらう。だからこそ、彼が出した答えには肯定も否定もせず、挑戦してもらう。その上で一緒に振り返る。
彼のプレゼンは3つの表彰のうちのどれにも選ばれることはなかった。受賞者の発表直後、彼は会場で誰よりも悔しがっていた。
僕だって悔しかった。
彼は参加者の誰よりも頑張って、誰よりも自分自身に向き合って葛藤していた。
こんな奴がメンターだから。
結局、プレゼンという「いかに綺麗で完結で、上手く共感してもらい自分を惚れさせるか」という土俵で選ばれることはそう容易いことではない。どんなに自負していようと、どんなにに良いプロジェクトであろうと、世界観をしっかりと創ることができなければ人の目に触れることはない。そんな厳しい現実がある。
そして、実際に参加したほとんどの高校生がその壁にぶつかるだろう。今までは「カワプロ」という優しい世界で育っているが、社会というのはそう優しいものではない。もちろん優しい人はいるし、そんな人にすぐに出会える人もいる。しかし殆どがドライで時に残酷だ。
そんな厳しさは「カワプロ」にはない。ビジョンに共感してくれた大人だけがそこに集っているからだ。もちろん、成功体験を彼らが味わうことは重要なことである。自己肯定感や自己効力感を上げるのに良い経験になる。
ただ一方で、僕は「井の中の蛙」のまま大海に出て欲しくないという想いがあった。僕以外のメンターやゲストメンター、その他多くの大人が淡水魚が生きていられる真水であるなら、僕は海水でいたかった。それはどうしても、どこに行っても真水で生きていられるわけじゃないということを知ってほしかったからだ。そしてそんな場所でも自分の意志と力を持って進んでいける羽を作ってほしかったからだ。
プレゼンイベントの終了後、僕が彼とメンターと高校生という関係でいられる最後の時間、彼は僕にこんなことを話してくれた。
「ユーロさん(カワプロでの僕のあだ名)は厳しく僕に接してくれた。だからこそ僕は成長できたと思っています。」
それでも僕は自問自答を辞めることはないだろう。本当にメンターとしてあるべき姿だったのだろうか。本当に彼にとって僕はベストな存在だったのか。
当然、批判はある。メンターとしてあるべき姿ではない。何度も言われた。厳しすぎないか。まだ高校生だ。そんなことも無数に言われた。僕はそれらを否定するつもりはない。
でも、まだ結論を出さないで欲しい。僕は彼の2年後を見たい。その上で判断したい。僕が正しかったのかどうなのか。
最後に、彼はこのカワプロが終わる時、大粒の涙を流していた。その涙の本当の理由は彼にしか分からない。寂しさかもしれないし、悔しさかもしれない。もしかしたら僕から開放される嬉しさかもしれない。
彼にとっての「海水」 であった者の責任として、僕は彼が離れる最後の一瞬まで本気で向き合っていたい。