宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』
がん闘病中の哲学者・宮野と、たまたまその相手役を引き受けることになった人類学者・磯野による往復書簡。往復書簡なので何か特定のテーマがあるわけではないはずだけど、あえていえば、運命、に関する本。2020年に読んだ本の中で個人的ベスト1。
前半は、「急に具合が悪くなるかもしれない」、つまり、容態が急変すれば1ヶ月ももたず死んでしまうかもしれない、と告げられた宮野の体験を中心に、リスクと「選ぶ」ということについての話題が繰り広げられる。
医者は、これから起こるかもしれない様々なリスクを患者に提示する。しかしそれは、確率の話をしているようでいて、患者に「死」という自分の運命を否応なく意識させてしまう。そして、患者は、死という未来から照らして今の使い方を考えるようになり、「いつ死んでも悔いがないように」身辺整理をしたりする。が、宮野はそこに違和感を感じる。
私が「いつ死んでも悔いがないように」という言葉に欺瞞を感じるのは、死という行き先が確実だからといって、その未来だけから今を照らすようなやり方は、そのつどに変化する可能性を見落とし、未来をまるっと見ることの大切さを忘れてしまうためではないか、と思うからです。
まるっと、とはどういうことか。死への分岐ルートを辿ってしまったからといって、その先が一本道なわけではない。そもそも生きるというのは、分岐から道一つを選んでいくような直線的なものではない、と宮野はいう。
分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、そちらに入ることによって、また新たな可能性を無数に引き受けたということを意味するにすぎません。なぜなら、ある分岐ルートに入った段階で、また複数の分岐があり、そしてその分岐はもともとその人がもっていたはずの人生のさまざまな可能性をまるごと変えてしまっているからです。
これは1通目の書簡だけど、ここで「引き受け」ということばが使われていることが印象深い。この先、ふたりのやり取りは、「選ぶ」とはなにか、そもそも何かを「選ぶ」ことなんてできるのか、という難問でひとしきり盛り上がる。そして、宮野の研究対象である九鬼周造のいう「偶然」とはなにか、という話に飛び、後半、宮野がほんとうに「急に具合が悪くなる」という重い事態を挟んで、最後にまた、なにかを「選ぶ」ことなんてできるのか、という話題に戻ってくる。そこでまた「引き受け」ということばを目にすることになる。
でもね、出会わなくても、この偶然を引き受けなくてもよかったんですよ。あるいはその道もあったはずです。いくらでも、「もうやめよう」と言うことはできたはずです。
この結論付近の文章だけをいきなり引用するというのも、患者に死という運命を意識させてしまう医者のように罪深いなと思いつつ(すみません)、人生は生きてみないとわからないように、本は読んでみないとわからない。この文章がどういう流れで登場するのかはぜひ読んで確かめてみてください。
(カバー画像:https://flic.kr/p/owpL2Y)
余談:全然関係ないけど、昔のブログでこの「引き受け」みたいな話を書いていたことを思い出してちょっと笑ってしまった。偶然とは。
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