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カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

(これは、2017年に昔のブログに書いたやつをほぼそのまま移してきたものです)

存在しないはずの問題をどう話し合えば解決できるのか、わたしにはその方法がわかりませんでした。

という本題とはまったく関係ないところで出てくる一文がなぜか印象に残った。

この本は「存在しないはずの問題」について語る本ではない。存在しないはずの問題は存在しない。人間とは、とか、平等とは、とか、そういう小難しい問題は、この本の中には出てこない。

主人公たちに不利な社会の仕組みは、当たり前のものとして存在していて、ことさらに解説されたりはしない。彼女たちは、その社会を、待ち受ける死を、当たり前のものとして受け入れている。そこには絶望もなければ希望もない。この本のドラマ性はそこにはない。不穏な通奏低音をわざと無視するかのように日常は進んでいく。

けれど、「存在しないはずの問題」について語る本ではないにも関わらず、読むと「存在しないはずの問題」に目を凝らさずにはいられないだろう。語りの断片をつなぎ合わせて、どういうSF的設定の世界なのかを暴き立てようとしてしまうだろう。存在しないと言われようが、ちらつく違和感が気になって仕方がなくて。

意地悪な言い方をすれば、それは「どう話し合えば解決できるのか」という難問に対峙せずに済む他人の強さだ。この問題の存在は、自分の存在を揺るがしはしない。他人事である限り、問題はただの問題であって、俺は逃げも隠れもする必要はない。そんな選択肢は与えられていない当事者とは違うから。

もはや日常の一部になってしまったような、どう解決すればいいのかわからない問題は、存在しないことにされがちだ。それは何もSFの世界だけの話ではない。見えないものに目を凝らすよりも、見えているものを見えていると認める方がずっとずっと難しい。

(カバー画像:https://flic.kr/p/bDGcBw

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