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円城塔「文字渦」

「文字渦」は、ルビと校正記号が荒れ狂うゲラの姿がTwitterをちょっとざわざわさせていた。

「強敵」と書いて「とも」と読む。

と言ったときに、これが誰のことを言っているのかよく知らないけど、本文(「強敵」)もルビ(「とも」)もどちらも嘘をついているわけではないと思う。たぶんその人は実際、「強敵」であり、「とも」なのだろう。

しかし、例えば、このふたつが身代金目当ての誘拐犯に誘拐され、警察には言うな、と脅されたけど警察に言ってそれが発覚し、言うなって言ったやろが!と犯人は激高、報復として片方を殺すと言う。どちらを生かすか選べ、と電話越し変声機越しの声が冷たく迫る。

みたいな非現実的なシチュエーションに追い込まれれば、俺はたぶん「とも」を選ぶ気がする。それは、「とも」の方がより現実を言い当てているから、そちらを残した方がまだ意味が通るから、という理性的な判断ではなくて、単に「ルビの方がエモいことを言ってそう」という盲信なのだと思う。何を隠そう、主に少年ジャンプあたりによって思考が訓練されている。

ただし、「ルビの方がエモい」という道徳は、より主張しない方、目障りでない方が正しい、というトーンポリシング的な思想をその基盤としている可能性がある。本文に比べて圧倒的弱者であるルビの発言は、なるほど表向きは歓迎される。「強敵」を「とも」と読むなどという世の理を踏み外した行いも、まあそれもダイバーシティだよね、とおおらかに許容される。時には、大胆な解釈だと称賛されさえする。しかし、主張のトーンを上げていくと人々は煙たがりはじめ、仕舞いには「何様のつもりだ」「ルビのくせにつけあがりやがって」のような罵詈雑言が投げつけられることになる。よくある話だ、悲しいことながら。

弱者の主張は既得権益を脅かさない範囲においてのみ歓迎される、という、はりぼてのリベラル。透けて見える差別。いや、俺はこれを他人事として皮肉に笑っているのではない。たぶんそういう邪悪な心が俺の中にもあって、常にそれを恐れながら暮らしているのだ。

なので、その意味で、収録作「誤字」は衝撃的だった。この物語ではルビが所狭しと語る。うざいくらいに語る。それでも、本文とルビが並走しているシーンで、俺の目は迷わずルビの方を追っていた。ああ、こんなにも主張しまくるルビを、俺はそれでも信じ続けられるんだなあ、という感動があり、不覚にも少し目が潤んだ。たぶん誰にも共感してもらえない気がするけど。

(見出し画像:https://flic.kr/p/owejW9

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