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小川さやか『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』

香港で暮らすタンザニア人の中古車ブローカーのネットワークに関する本。

ブローカー業とは、

香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系の顧客と、アフリカ系顧客のやり方や手口に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料やマージンをかすめとる仕事

である、という。しかし、アフリカ系顧客と香港の業者が直接に関係を築いてしまうとブローカーは要らなくなってしまうので、「信用」はしてもらいつつも、いかに

香港ブローカー全体に対する「漠然とした不信感」

は持続させるか、という話はアクロバッティブで面白い。が、いったんそれは脇に置く。

個人的に興味深かったのは、ブローカー達のネットワーク内での「信用」の話だった。生き馬の目を抜くようなマーケットでは誰も信用できないので、客筋は個人で持つ。とはいえ顧客が求める中古車は様々なので、個人では限界がある。ネットワーク内で中古車の情報を交換したり、融資を募ったりすることになる。

情報交換や融資はインターネット上のプラットフォームで行われる。プラットフォームといっても実態はSNSの寄せ集めで、メルカリのように出品者の評価がつくシステムみたいなものがあるわけではない。そんな中で誰を信用するのかというと、少し長いけど引用しよう。

彼らは常々「誰も信用しない」と断言している。それは、「素性」「裏稼業」を知らないからと言うより、誰しも置かれた状況に応じて良い方向にも悪い方向にも豹変する可能性があるという理解に基づいているように思われる。カラマたちは、「彼はいま羽振りがいいから、お金を貸しても大丈夫だ」「彼はこの間、輸入した天然石の品質が悪く大損したから、少し気をつけたほうがいい」「彼の恋人も一緒なら、彼は良い奴だから遊びにいきな」と「いま」の状況に限定した形でしか他者を評価しない。

これを読んで、信用スコアについて考え込んでしまった。ある人間がどれくらい信用できるのかは状況によってすごく変わる。上に「出品者の評価がつくシステム」と書いたけど、ここでの信用は、ある人間を長期的に見たときの平均の話であって、「いまこの瞬間に信用できるのか」という問いとは微妙にずれている。信用の変動とか分布をうまく捉えられない。

しかし、インターネットはミクロな信用に向いていない。例えば、上の引用にある「彼の恋人も一緒なら、彼は良い奴だ」ということがわかるためには「この人が自分の恋人だ」とか「今日は恋人と一緒にいる」というウェットな情報を共有する必要がある。そんなことはインターネット相手ではできない。インターネットからでは見えない情報が多すぎる。

ブローカー達の「信用」が正解だ、と言っているのではない。これは「異国の地で同郷同士が助け合わざるを得ない」という特殊な状況で成り立っている輪であって、いいとか悪いとかではないし、真似できるとも思えない。ただ、そういう多様な信用の輪があることが重要な気がしている。

自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるけど、信用にもあてはまるんじゃないだろうか。ある人には信用されなくても、また別のある人には信用される。昨日は信用されなかった、でも今日は信用される。とか。信用がフォーマルなものに仕立て上げられていく中で、これから何がこぼれ落ちていくのだろう。

(カバー画像:https://flic.kr/p/odgF3u

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