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生まれ変わったあの日③(教会編)


クリスチャン宣教師との出会い


出会いは突然でした。


ある日私は、ショッピングモールのベンチに座って、課題の英語の本を読んでいる時

「Excuse me? 」

と突然声がして
振り返ると50代くらいのアジア系の外国の女性がいました。

いきなりのことでびっくりしつつも
道に迷ったのかな?と思い
何の気なしに『Yes?』と返事をします。

すると彼女が次に言った衝撃の言葉がこちらです。

『Do you believe in Jesus? (神様を信じますか?)』



『へ??』と
思っていた答えとは全く予想外で衝撃を受けました。


頭が真っ白になりながらも、

『No… (信じていません)』

と絞り出されたような声で答え、
頭の中では
なんだ宗教勧誘か…思わず返事しちゃったと動揺していました。

けど、一応留学も行って英語の勉強はしてたし、英語力試しの機会にはちょうどいいのでは?!と思い、なぜか話をしてみようと思いました。

話を聞いてみると
彼女はシンガポールから来たクリスチャン宣教師らしく、聖書の御言葉を日本人に伝えるために、週末いろんな場所に出向き伝道しているとのこと。

今日はたまたま、このショッピングモールにきて
私が課題の英語の本を読んでいるのが目に入り、声をかけたそうでした。

彼女は、教会の住所と御言葉が書かれているポストカードを渡しながら、『カフェで礼拝をしていて、外国から来た人もいるから英語の手伝いをしてくれない?』と付け加えました。

私は、全然乗り気ではありませんでしたが
一応LINE交換だけして
その人は「じゃあね!!」と元気よく駆け足で帰っていきました。

家に帰った時、そのポストカードを繁々見ながら
『いやいや、いかないでしょ...』と思っていました。

でも、なぜか次の週になってもその出来事を思い出します。

心のどこかで、『これはまた状況を変える何かのご縁かもしれない。。』と淡い希望を持っていました。


『なにか危ないことや怪しいことがあったら
すぐ逃げればいいし..』
「カフェでやってるし、なんか行きやすそうかも?」
と保険をかけつつ、また心の声に従い
教会に行く決意をします。


教会

自宅から自転車で20分
小さなこじんまりとしたカフェに人が集まっていました。
どきどきしながらその扉を開けると、
「いらっしゃ~い♪」と牧師夫妻が緊張している私を笑顔でお出迎えしてくれました。ふかふかの椅子に案内してもらい、落ち着いた温かい雰囲気とキレイな讃美歌のおかげでリラックスして礼拝に参加することが出来ました。

あたりを見回すと、本当に外国から来た方が多く、日本人は指で数えるほどしかいない教会でした。

だからこそ、この教会では、高校生の時にニュージーランド留学で学んだことの全てが生かされました。

まず『語学力』
教会では、少し通訳や翻訳のお手伝いもさせてもらいました。
コミュニケーションはもちろん、聖書を勉強する機会もあったため、基礎的な英語力はもちろん
会話の中には、聖書の専門的な単語もたくさんあり
複雑な言い回しや文の読解力は必須でした。
留学の経験があったからこそ、英語応用編についていけたと感じます。(笑)


2つ目は、『人との距離の取り方』

留学では、とにかく明るく積極的な自分を演じて色んな人に話しかける挑戦をしました。その挑戦をきっかけに、良好な人間関係を築くには、ただただ、ぐいぐい人のプライベートゾーンに入っていくのではなく、相手の表情、雰囲気をうまく読み取って、その人と自分の今最大限の適切な距離を測りながら、会話をする大切さに気付けました。

この人と自分の関係値は60(100点中)くらいだから、
この話題でこの空気感だったらもう少し仲良くなれるかな?
これは言わない方がよさそう
多分こういったら喜んでくれそう

というような感じで、実践を重ねながら
自分のHSPという気質と上手く付き合って生かせるようになり、対人関係のスキルにさらに磨きがかかりました。

学んだことが生かされたおかげで、その教会では
日本人だけではなく、
アメリカ、ブラジル、インドネシア、シンガポール、ザンビア、エルサルバドル、中国…もっともっと色んな国からの友達と友好関係を築くことができました。
長年人間関係を築くことは苦手分野でしたが、
とても嬉しいことに、今ではこのスキルに関しては「器用で人との距離の取り方がうまい!!」と牧師夫婦も公認のスキルになりました!

礼拝後はみんなでご飯を食べに行き、それぞれの国のことを教え合ったり、英語で聖書の勉強をしたり、お互いに悩みや困っていることを共有したり。みんな私を慕って、弱いところも良いところも受け入れてくれて、我が身のように親身にいつも気にかけてくれました。
牧師夫妻も、
何回もお家でご飯に招いてくれたり、辛い時に支えてもらったり、我が子のように接してくれました。
あまりご飯が食べれない時でも、みんなといるとご飯が美味しくて、その幸せが心の空っぽの部分をうめてくれました。

そして次第にこの場所は私の大事な大事な居場所となり、教会のみんなのために、ずっと自己中心的だった私も、周りの人に何かしてあげたいと思うようになりました。

次が最終話です↓

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