読んだ:正義はどこへ行くのか
タイトルで購入。多様性の尊重や経済の複雑化により画一的な正義や悪が描きづらくなった現代において、ヒーローがどう成立するかを考察したもの。
本書では、主に米国のヒーローと日本のヒーローを取り上げている。
米国のヒーロー像の悩み
米国のヒーローは、スパイダーマン、アイアンマン、X-MEN、トップガンなどなど。正直、米国文化については実感がなく、またアニメや映画もX-MENとTMNT以外はほとんど観たことがないのでピンと来なかったが、概ね以下の話はなるほどなと思った。
これまでの白人マッチョな男性ヒーローが市民共通の悪を倒すという図式は成立しなくなっている
多様性の中で、例えばX-MENのような「一般の人とは違う」人”たち”が、思想の異なる勢力と戦うという中で、ヒーローらしきものを形成している。
X-MEN自体は、30年以上も前からあったはずなので、当時の背景からしてみると異質かもしれない。
日本のヒーロー像の変異
日本のヒーローとして、水戸黄門、必殺シリーズ、ウルトラマン、仮面ライダー、プリキュアなどが取り上げられている。
旧来、戦後日本の高度経済成長の一体成長を背景として、組織に紐づく単一の強い存在が悪を成敗するという図式が好まれていた
経済の停滞や政治への不信感により、上記の構造が成り立たなくなり、自分のために戦うといった多様化が進む
例えば、シン・ウルトラマンでは、ゼットンに一度敗れた主人公が地球人に対して「自分は必ずしも超越的な存在ではなく、皆と同じ単なる生命だ」という趣旨の発言をしている。また、シン・仮面ライダーも、SHOCKERを滅ぼすことは主人公の目標ではなく、緑川一家の魂の救済に主軸が向けられている。
今をどう生きるか
本書の謝辞には、以下の一文が掲載されている。
多様性の尊重は、言い換えると単一の正義が無い世界になる。何が正しいかは誰も示してくれない。
いや、示してくれるかもしれないが、それが正しいことは誰も保証できない。
そのような世界では、自分にとって何が正しいことかを明確に定義する必要がある。
正義なく生きていき、死んだとしたら、何も残らない人生となるかもしれない。
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