見出し画像

バスケット界に数々の伝説を打ち立てた男、コービー・ブライアントの生き様

こんばんは、豊です。

本日は私が敬愛するスポーツ選手の1人である、バスケットボール選手のコービー・ブライアント(以下、コービー)の数々の偉業と共に、その生き様を語らせていただきます。

学生時代にバスケットボール部に所属していた私にとっては、青春時代に憧れてプレーを真似してみたりもしていた選手で、気持ちを全面に押し出してチームを引っ張る姿が本当にカッコ良かったです。

バスケットボールの神様として有名なマイケル・ジョーダンも自分と同レベルの唯一の選手としてコービーの名前を挙げており、全世界のスポーツファンに多くの伝説と感動を残している選手です。

名前の由来は日本に深い関わり、努力と成長の学生時代

コービーは1978年8月23日にアメリカのペンシルバニア州で誕生しました。

名前のアルファベット表記は「Kobe」で、父親がお気に入りだったレストラン「Kobe steak house(神戸ステーキハウス)」をきっかけに「神戸」が由来となっています。

バスケットボール選手だった父親が、イタリアに移籍したため、6歳から13歳までをイタリアで過ごしており、アメリカに戻ってからは周りと馴染む努力をしながら成長を続け、高校時代には頭角を現すように。

大学に進学をするか、アメリカのバスケットのプロリーグのNBAに入るか悩みながらも、1996年のドラフト会議で指名をされ、17歳からロサンゼルス・レイカーズでプロ入りをしました。

NBAで残した伝説の数々

画像2

プロ入り後のコービーの活躍は凄まじく、
・NBAチャンピオン5回
・シーズン得点王2回
・生涯得点数33,643点(2021年現在歴代4位)
・北京オリンピック、ロンドンオリンピック金メダル
などなど、素晴らしい成績を残しています。

コービーが残した伝説は数え切れないほどたくさんありますが、その中から4つほどご紹介させていただきます。

①最年少記録

コービーはルーキーイヤーの1997年に行われたNBAのスラムダンクコンテストで史上最年少の18歳と175日で優勝という記録を樹立。

さらに翌年には、ファンの投票によって選出されるオールスターゲームの先発出場を19歳と175日という最年少記録で掴み取りました。

ちなみにその後は引退するまで19年連続でオールスターゲームに出場しています。

②満身創痍になりながら優勝

2009−2010年シーズンでは、指の剥離骨折、足首や背中の怪我、膝に水が溜まってしまうなど多くの怪我と戦いながらもチームを勝利に導く得点を重ねて、5回目の優勝を果たしました。

③1試合81得点

2006年1月22日の試合でコービーは次々とシュートを決めていき、なんと1試合で81得点を取りました。

これは、40年以上前にウィルト・チェンバレンという選手によって、記録された100得点に次ぐ史上2番目の高得点で、バスケの戦術レベルが高まっていた2000年代にこの記録を出したことは、本当に驚くべきことです。

④引退試合で60得点

2015−2016シーズンの最終戦はコービーの引退試合でもありました。

数々の大怪我があり、体に限界を感じていたコービーはこのシーズンでの引退を発表していたのですが、その引退試合で60得点を挙げチームを逆転勝利に導いたのです。

コービーを表す言葉は「努力」と「負けず嫌い」

数々の記録と記憶を残してくれたコービーは天才と呼ばれることも多いですが、彼を近くで見てきたチームメイトやコーチたちは「コービーほどの努力家はいない」と口を揃えます。

誰よりも早く体育館に行って4時間以上のシュート練習や筋力アップのトレーニング、30歳を過ぎたあたりからは徹底した食事管理など、心からバスケットと向き合ってそのための努力をし続けたのがコービーでした。

そして、マイケル・ジョーダン(以下、ジョーダン)とのエピソードからコービーの負けず嫌いっぷりがよく分かります。

ジョーダンとコービーの対戦で、ジョーダンのチームが勝利した際に、「どれだけ俺の真似をしても、お前には俺の代わりは務まらない」とコービーに向かって挑発をしました。

これに腹を立てたコービーは2週間以上もの間チームメイトとも口を聞かず練習に取り組み、次のジョーダンとの対戦で55得点を決めて勝利。

後日には、「ジョーダンになれないからなんだ、俺はコービー・ブライアントだ」と述べたそうです。

画像1

全てをかけてバスケットに努力する姿や、勝負にこだわり挑み続ける姿でリーダーシップを発揮して、仲間を引っ張って輝かしい結果を作ったのが、コービーという男です。

世界が悲しみに暮れた突然のお別れ

2020年1月26日(日本時間27日)、誰も予想だにしなかった悲しいニュースが流れてしまいました。

コービーと次女のジアナらを乗せたヘリコプターが墜落し、コービーを含む乗員全員が死亡したというニュースです。

私もそのニュースを見た瞬間に思わず「嘘だろ!」と声に出してしまったのを覚えていますが、世界中のファンが悲しみに暮れました。

41歳という若さで、いずれは監督やコーチとしてコートに戻ってくることを期待していたファンも多かったはずです。

多くの選手や著名人が追悼の言葉を告げ、ロサンゼルス市では、現役時代にコービーがつけていた、8番と24番の背番号から、8月24日をコービー・ブライアントの日として記念日としました。

ご冥福をお祈りするとともに、今頃は天国でバスケットを楽しんでいることを願います。

最後に

画像3

いかがでしたでしょうか。

コービー・ブライアントがバスケットボールに愛情をかけて努力して、伝説を作り続けてきたことが少しでも伝わっていたら嬉しいです。

個人的には、この記事を書きながらも泣きそうになってしまいました。

私もコービーのように熱い思いを持って努力し続けて、多くの人に感動を与えられるような人生を歩んでいけるように、今日からも頑張ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?