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テート美術館展に行ったら空想スイッチが入った

東京・国立新美術館で開催中のテート美術館展   光 ― ターナー、印象派から現代へに行ってきた。俳優の板垣李光人のオーディオガイドを聞くこと、海外っぽさを楽しむこと、有名画家の作品を見ることが目的というミーハー魂で行ったのだが、想像よりゆっくりと、作品と、そして自分自身と向き合うことができた展覧会だった。

まず板垣李光人の音声ガイドについて。大河ドラマ「どうする家康」で井伊直政(今、作中では万千代と呼ばれている)を演じる彼は可愛らしい印象だったが、オーディオガイドではゆっくり、静かに語りかける口調で、かつ溌剌とした印象も受け、展覧会の雰囲気にマッチしていた。

でも、今回は現代美術作品が多く、絵画だけでなくインスタレーションが結構多かったから、ガイドはそこまで重要ではなかったと思う。

むしろ、解説を見たり聞いたりすると先入観が入ってしまうから、まずは自分で見て、感じて、その後に音声ガイドを聞くのがいい。

美術展に行くとついつい、その展覧会の目玉作品が大きくクローズアップされ、その付近だけ異様な混雑をしている…ということが多いが、今回は特定の画家や系統にとらわれることなく、「光」という切り口で展示をしており、それぞれのゾーンに見どころがあった。

私が気に入った作品の一つが、ジェームズ・タレルの「リーマー、ブルー」。白い、箱型の空間に青い光が広がり、壁が浮き上がって見えるインスタレーションだ。

青だけが光る空間で、水中から水面を見上げる感じに似てるなぁ、未知の世界に踏み出す時の心象を表すとこんな感じだろうか、と色々と想像を膨らませた。

普段の生活では、目で見たものをそのまま「情報」として処理しがちだけれど、こんなふうにぼんやりと、空想をしたのは久しぶりだった。

私が美術館に行くようになったのは、大人になってから難しくなってしまった、空想の感覚を少しでも取り戻したいと思ったからだ。

子どもの頃の私は、本の挿絵を見て物語の続きを考えた。海外小説に出てくるお菓子や建築物・内装を想像した。高速道路沿いに立つピンクや緑のきらびやかな『お城』を見て、そこに住むお姫様の生活を想像した…幼稚園の先生が言っていた通り、そこが「大人になってから行く」ホテルだと知ったのはだいぶ後だったが。

それから年月がたち、筆者が何を伝えたいかを正確に読み取る能力がつき、今では空想は許されず「根拠は」「目標は」「想定される収益は」「定量値で表して」なんて言われる仕事をしている。

誰もが見てわかりやすい根拠や結果を表すことが大切だということは理解しているし、順序立ててテキパキと物事を進めるのは性にあっているが、そればかりの毎日だと脳が疲れる。

そんな疲れを癒すのに、今回の展覧会はぴったりだった。

私が気になった他の作品に、ブリジット・ライリーの「ナタラージャ」がある。
カラフルな平行四辺形が並ぶこの作品、何をイメージしていると思うだろうか。

最初、映画化もされた恋愛小説のタイトルと同じ、ナラタージュだと見間違えて、回想、みたいな意味だろうかと思っていた。

物事を回想しようとする時、断片的な記憶を繋ぎ合わせていくから、それをモザイクで表しているのかなぁと思ったのだ。

そしたら、「ナタラージャ」は、シヴァ神の
異名で、舞踏家の王という意味だった。言われてみれば、目の錯覚でカラフルな平行四辺形がうごうごとしているように見えなくもない。

でも、「モノに光が当たって、反射された光が目に入り、その情報が脳に伝わる」のだから、人によって見えている「色」は違うかもしれない、とオーディオガイド内の番外編でTBSの田村アナとテレ東の田中アナが話していたように、見え方が人によって違ってもいいはずだ。そんな自分の勘違いを楽しむこともできた展覧会だった。

出口前には、オラファー・エリアソンの「星くずの素粒子」が待っている。

小学生の時に読んだ図鑑に、「私たちの体を構成する元素は、星が死んだ後のかけらと同じなのです」というようなことが書いてあり、そうか私も星屑なのか、宇宙から見たら私はすごく小さな存在なんじゃないか…考えていたことを思い出した。

きらきらと光るミラーボールのような球体を見ながら、子どもの頃の自分に、ギスギスした現実世界を生きてご飯を食べてる私も、時々は空想の世界に戻ってくるよ、と伝えたいと思った。

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