思い出落語(その3)

二回生になる春合宿。
春合宿だけは毎年場所を変える風習があって、近くに発表させていただける老人ホームなどがあること。
なるべく安く過ごせて、OBも来やすくて、でも脱走できなさそうなところで、ソフトボールが出来る広場のあることが条件だった。
あいも変わらず、ネタ覚えも悪く事前にマンツーマン練習を見ていただく回数も少なく、不安のナカ全体練習。
何故かこの全体練習の高座の出来がまあまあ良かった。
(こういうフロックを当然ながら技術部長は見逃さない)
やっぱり演り直し。
演り直しの全体練習は散々。そんなもんです。メンタル逝ってるもん。
辞める言うてた六兵衛の「初音の鼓」が良かった。ぽん太は「青菜」やったはず。安定の出来。

新入生が入ってきた。
あー。上回生になんねんなー。くらいの気持ちやったけど、来年からの幹部のことを考えていかなあかんようになる。
六兵衛は辞める言うた時点で無いし、ぽん太がなるべきやんなぁって思うてたし。
また、新入生が面白かった。

6
月例会にかけることにしたのは、「天災」(先代技術部長紫丸さん得意ネタ)
「代書」「近日息子」「皿屋敷」も演りたかったけど。
「天災」は難しかった。どうにもならなかった。多分三回生以降かけてません。
このころに彼女が出来た。初めてクラブに遅刻をした。時間厳守のクラブ活動だったから、大変。夜中に彼女と電話している時に先輩3人が訪ねてきて説教された記憶がある。
出来の悪いクラブ員ですみません。
でも、落語は好きやった。クラブも好きやった。だから続けれた。
幸いにも関西人でも苦労するという上方イントネーションは全く苦にならなかったし、これしか取り柄がなかった。
二回生の頃は出囃子「天王寺」で上がることが多かったかなぁ。

秋の学園祭のネタは6月の最終クラブ活動日に発表だった。
6月に演りたかったネタのうち「皿屋敷」をと思い、紫丸さんに相談したら、「不動坊演り!」と。
「不動坊」は40分くらいある噺。そもそも長い噺を覚えるだけで大変やのに。
10
月に全体練習だから、4ヶ月ある。夏合宿までに覚えたらなんとかなる。
夏合宿中にOBの桃助さん権八さん見てもらいました。
仕草も徹底して教えてもらいました。あの風景はまだ忘れてません。10月の全体練習は通していただけました。
学園祭ではオープンリールの向こう側で桃助さんが使ってた「岩見」で上がりたかったけど、下座部長の方には言えませんでした。「岩見」は最終日のモタレ前で一個下の文弥くんが上がりました。やっぱりカッコいー出囃子やなぁ。文弥くんも「岩見」を専用で使いたいのは知ってました。幹部交代後に文弥くんに「使わせてもらいます」と声をかけたのはいまだに覚えてます。

幹部交代の調整のために次期幹部だけで集まって話しあいする時に、既にぽん太と六兵衛2人の間では六兵衛が会長と話してた。ぽん太は会長にならないって言う。当時はぽん太が会長じゃないと私辞めるとまで言った。辞めたほうが良かったかな?
この辺の記憶が曖昧。

そうそう、幹部交代前に「秋の笑待席」という落語会がありました。他大学を模倣して選抜の落語会をクラブとして初めて開催しました。学内の以学館1号ホールで、同期はぽん太が選抜されました。立ち見まで出る超満員でした。
そうです。初代ぽん太さんに続き、二代目ぽん太は学内一番のキャパの会場を満員にしたのです。新たなる伝説を作りました。
(つづく)


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