【司馬遼太郎:太閤記】それは史実か。空想か。

■概要

note。11/30が締め切りの企画があった。

そこで、参加してみた。
題名にもあるが、司馬遼太郎の本である。
「え、なんか難しそう。。。」となるのも承知である。余もそうであった。ところが、実際に読んでみるとこれが面白いのなんの。どのあたりかと申せば、「人間臭さ」の書かれ方である。彼にはどこか愛嬌がある、彼は政治が全くわかっていない。人というのは義ではなく利のために動く。などといったことだ。

司馬遼太郎の本を読むきっかけとなったのは、"voicyのサウザーラジオ"だった。自称、"資本主義の豚"。彼は、勤め人から今では経営者となり、うだつが上がらない時期を超えて財を築いた(もちろん赤字になることだってある)。聞けば心の奥にまで刃を突き立てられるドM専用のラジオだ。
このラジオでは読書は推奨されている。その中でおすすめされていた本に、「覇王の家」「関ヶ原」「太閤伝」「義経」「項羽と劉邦」があった。以前から歴史書は気になっており、これを機に、読んでみることにした。(「項羽と劉邦」だけは、まだ上巻だが。)

また、僕は、気になったところを線で引く人ではなく、"Trello"というアプリで、刺さったところを噛み締めながら文字を打ち込み、また感想をメモしていた。記憶に加え、その辺りも踏まえながら、
・"太閤記"
という、"豊臣秀吉"の本を抜擢しようと思う。(後の三冊についても書いていたが、全て消して、太閤記に絞った。)


■太閤記

"猿"。彼の容姿はそれだったらしい(笑ったとき、顔がしわくちゃになる。しかし愛嬌があった)。彼は"寺"で拾われた。彼には才能があった。しかし、寺では評価されない。しかし、商人は違う。彼は"商い"が好きだった。それに銭勘定もよく、才もあった。彼は寺を抜け、あきんどになる。銭を路用に使えば無くなる。でも商いに使えばなくならない。彼の夢は、「友だちが飲みたい食いたいといえば、即座に振る舞い、ためらいなく奢ってやれる身分になる」こと。
が、甘くはない。寺には戻れず、商うための道具もなくなる。労働だ。陶器屋のもとで奴隷のように労働する。が、職人的仕事には向かない。
いつしか、"武士"になりたいと思うようになる。拾われなければ、また奴隷に戻る。彼は恥をすて、猿となる。拾われたい一心で。猿は自分の顔を道具とし「どうすれば役に立つか」のみを考えていた。先は、"今川家"。しかし上洛志向のあまり、ここは合わない。彼の居場所はここではない。"織田家"に仕えたい。そして織田信長の趣味を調べ、"鷹狩"のときを狙うことにした。この猿の顔を使って。そして信長は、あの猿顔を忘れられない。そして、猿は信長の草履取りとなり、かの有名な草履の話へつながることになる。

羽柴秀吉。羽柴とは、それぞれ丹羽長秀と柴田勝家からとっている。しかし、後者の柴田勝家と揉めることも多かった。彼は凄まじい武将だが、"調略"という、この頃はまだ珍しい戦をする秀吉が受け入れきれなかった。調略は、「何を欲し、怖れ、魅力を感じているか、犀利な分析がいる。」また、信長はこの才を認めており、猿は次第にのし上がっていく。結果を残すからだ。

水責めのとき、天性の"土木"の才を使って、堀などを制作し、大雨に恵まれたこともあり、敵城を攻め落とす。名を残すものは、小事に必要な"才"と、それを大事にする"運"を持っている。

また、猿は"女癖"もあった。美人よりも身分に興味があるたちで、それが露骨すぎるあまり、気味悪くもあった。

人たらし。感謝は過剰すぎるほうがいい。たとえ演技でも、そこまで過剰なら真実以上であろう、と考えていた。また、彼は徳川家康と同じく、人は"義"ではなく、"利"で動くことを知っていた。加えて、本能寺の変を報より聞き入れ、戦場から全軍引き返し、信長の元、明智の元へ急行する"大返し"というような、大胆な行動も取れる。

信長は、なぜ天下統一できなかったのだろう?対して、秀吉はなぜ成したのだろう?それは、織田信長という天才の限界にあった。戦略的な功利のみを重視しすぎ、信頼を得ることや、心配りを軽視し続けている。それが明智光秀という存在を生んでしまった。対して秀吉は、人を動かす才能があり、人間は欲望で動くことを心得ていた。

明智光秀をきっかけに、誰が天下をすべるか。
柴田勝家と秀吉の戦い。しかし、秀吉は冬を待った。雪で進軍できなくなるまで。勝家は遅かった。焦った側が勝った試しが無い。猿の、想像力とそれを現実にする計算能力。つねに先手をうち、敵を研究し、何を考えどう動くかを、敵以上に知っていた。

武田信玄、上杉謙信、柴田勝家のような、旧武士の戦から、調略のような豊臣秀吉、黒田官兵衛、竹中半兵衛、織田信長、安国寺恵瓊、徳川家康のような工作・調略が台頭した。


■あとがき

最初から恵まれていたのではなく、持って生まれた才能を活かし、逆境や強い志、対人関係に強く、人間というものを知っていたからこそ、歴史に名を残すほど事を成したと思う。人間には人それぞれの性質があり、本人以上にその人を知っていた

逆境には進んで飛び込む。そして最悪の場合も覚悟する。"司馬遼太郎"と聞けば、国語の教科書のような一見難しい本のイメージがあったが、人間の本質的な根源的なものが垣間見え、それがとても心地よかった。

まるで司馬遼太郎本人が、実際に過去を体験し、歴史上の人物に聞いて周り書き記した、史実のような空想の本で、その境界は溶け合っていた。そして"フェイクニュース"もまた、事実なのか空想なのか、まるで区別がつけられない。

"司馬遼太郎の歴史書"は、"史実"か。"空想"か。一体どちらなのか。これを吟味するつもりはない。ただ、ここで感じ取れる"人間の趣"を味わっていたい。


TODAY IS A GOOD DAY FOR YOU🏯


#読書の秋2020

参考:
新史 太閤記(上) (新潮文庫)
新史 太閤記(下) (新潮文庫)

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