母との旅、台湾編
母はこの夏104歳で亡くなりました。見舞いやら、お葬式、法事、そして相続のことやらで何回岡山まで出かけたでしょうか。
遺品整理は私の仕事ではなく、ただもらい受けるだけでしたが。家の中を断捨離で片付けないといけないのに、これでまた増えては大変と私の持っている衣服などよりゼロが一つ多い服を横目にじっと我慢でパスしてきました。
荷物にして送るにしてもそれにどんな意味があるんだろうと、思ってしまったのです。和服は私は着ないので全部妹にもらってもらいました。宝飾類は妹と分けあいましたが。
弟の奥さんて全然欲がなくて何にも要らない…残ったものはすべて捨ててしまうって・・・そんなのもどうなんでしょうか。彼らの娘も真珠のネックレスをもって帰っただけだそうでして。
私も衣服より何か思い出につながるものを、とそんなものをいただいてきました。小さいものです。たとえば、一緒に出掛けた台湾旅行で買ってきたメタリックなしおり・・・これからは母のことを忍びながら読書・・・私が愛用することになりました。
その台湾旅行です。
叔父(母の弟)夫婦、妹も一緒に出掛けました。叔父はビジネスで何回も台湾に行ったことがあり、いつも母を連れて行きたい、と言っていたのです。皆揃って行けて本当に良かったと思います。
叔父の知り合いの海産物の店では自分で選んだカニを何はいか料理してもらって・・・美味しかったなあ…。
ちょうどその旅の帰りの日は、母の誕生日、八十八歳の誕生日の日でした。飛行機に乗る前に私が航空会社側にお願いをしていたからであったからでしょうが、日本へ向かっている機上で突然のお祝いがありました。
機内通路を三人のキャビンアテンダントがキャンドル付きのケーキを持って♪ハッピーバースデー♪を歌いながら行進し、母のもとに持ってきてくれたのです。それは、ちょっとした絵に見えました。
赤く燃えるキャンドルですべてがもっと温かく感じられました。私たちにもシャンペーンのサービスがありました。
母の眼には涙が・・・。いや、私や妹の目にも涙が・・・でした。
それが母にとっての最期の海外旅行になりましたが、何かと言えば話の話題に上る思い出となったようでした。
それにしても、私が88歳になったとき、母ほど元気に旅ができているのでしょうか。それは疑問です。
考えてみると、母たちと台湾へ旅した時代、いい時代だったと思います。それから後にもう一度台湾を訪れ、故宮博物館にも行きましたが、中国本土からの観光客があふれ、ゆっくり見るどころか、階段を上る、降りるにも一段ずつぼつぼつと…。観光客が右も左も上も下もぎっしりだったのです。すごい混雑ぶりでした。
中国本土の人たちの常識がない行動を現地ガイドさんがいろいろ言っていていましたが、まさかの火災などが発生すると、あの博物館では人間の命より展示物の方が大事ということで3分以内に外に逃げないと館は閉まってしまう・・・要するに窒息することになる、と言われました。
あの人間の多さではそう簡単には逃げられないと思いました。今はどうなんでしょうか。相変わらず?
どちらにしても、もう台湾へ出かけることはないのかと思います。中国本土へも。