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FC東京の応援2年目のぼくがJリーグ延期中にやっていること

(※3月7日に書き始めたので、当初は最初の延期期間である3月半ばに公開する予定で「FC東京の応援2年目のぼくがJリーグ延期中にやっていたこと」というタイトルで書いていました。)

こんにちわ、タイトル通りにFC東京を応援し始めて2年目の荒井祐太です。

コロナウィルスによるJリーグ中断。どころか、世界的にサッカーの中断や無観客試合となってます。ほんっとコロナ嫌い。ウザい。バイト先が一緒だから職場での人間関係を考慮して遠回しに何度も飯の誘いを断ってるのに、そのことを察することができずに何度も誘いのLINEを送ってくる非イケメンな先輩くらいウザい。(※3月頭にこの記事を書き始めたころはまだそんな太字のようなことを言っていられましたが、実際は非モテ男性のほうがはるかにマシなくらいコロナはやばいわけで、当時の認識の甘さがあらわれている記述です)

まぁ、Jリーグ中断自体はいいです。判断が素早く、それでいて決定プロセスを原博実さんが動画で説明してくれるという透明性もなかなか他にないですし、なによりJリーグがお子様から老衰死まであと10年のジジイまで男女問わず楽しめる最高のリーグであるためには重要な決断です。

とはいえ、暇です。いや、暇じゃないけど、サッカー不足、東京不足です。(個人的には嫁不足な37歳独身男性ですが)

本記事では、そんな東京不足の時期にやっていたことを列挙してみます。あまりたいしたことはしていないのですが、まぁ、記録程度に。

商品を受け取ってみた

「FC東京2020スケジュール帳」受注販売。

この文字列をツイート界で目撃し、リンクをクリックした瞬間に思ったこと。

これは売れる……!

とはいえ、元々あまり手書きのスケジュール帳を使わないタイプ。講談社ブルーバックスという科学系の新書専門レーベルが毎年出している「ブルーバックス科学手帳」も買うだけにとどまるタイプ。

けど買っちゃいました。だって、ねぇ、背番号とか選べるらしいし。

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アベシューにしました。

こいつが届いたのが2月27日。楽しみだったホーム開幕戦や浦和戦の試合延期が発表された後だったので、なんとなくちょっと精神的に救われました。

そして翌日28日。

もういっちょ届いたー!

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「FC東京2019シーズンレビュー」のBD。それも特典DVD付きの先行版。

いやぁ、ありがたい。タイミング的にありがたい。

無人の味スタに行ってみた

Jリーグの延期が発表され、ツイート界では「エアJリーグ」が開催された2月末。FC東京は昨シーズンの優勝争いの相手である横浜F・マリノスをむかえてのホーム開幕戦のその日。

天気が良かったのもあって、なんとなく味スタ行っちゃいました♪

不要不急の外出は極力控えてくれ、なんて話もありましたし、実際あまり出歩いてもいませんが……

天気が良かったのもあって、なんとなく味スタ行っちゃいました♪

隣接のEURO SPORTS 味の素スタジアム店に行ってお金を落とそう、というのもありましたし。

当日の様子は以下の通り。

10時半くらいになんとなく家を出る。ユニフォームとかは着ないものの、マフラーだけ巻く。

新宿駅での乗り換え時にはカレーハウス11イマサでお食事。試合の日には青赤なユニフォームやグッズなどをお持ちの方を見かけるものの、この日この時間にはお見かけせず。

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いつものように調布でいったん特急から降りて各駅で飛田給駅へ。

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おお……無人だ……。

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なんかSF的展開で所属する日常の世界を離脱し、他人が一人も(もしくはヒロインや友人以外)いない世界に迷い込んでしまったみたいな気分。

改札を抜けるといつもの旗。

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天気が良くてお散歩には最高の日。

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最高のお散歩日和ということは、すなわち最高のホーム開幕戦日和。本来なら3万人以上のサッカー好きがこの道を歩いていたはずなのに、ほんっとコロナ勘弁してほしい。歩きながらも、ありえたかもしれない入場料収入や青赤パークの売り上げなんかのことを考えてしまう。

いつもの歩道橋は工事中。作業員さん、お疲れ様です。

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味の素スタジアム到着! 同じようにやってきた人たちの姿が。

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無人感が出るくらい(ほかの人が写らないくらい)接近。

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おっ、なんか貼ってあるぞ。

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開催延期のお知らせでした。

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檻の隙間からパシャリ。無人の味スタ、略して無味スタ。

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さて。記念撮影もしたことだし、EURO SPORTS 味の素スタジアム店へ。

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けっこうお客さんいました。とくにドロちゃんグッズを求めるおばさんたちが。

先日届いたスケジュール帳似合わせてFC東京グッズの文具が欲しかったのでシャーペンやボールペン、筆箱などを購入。あとは東京ドロンパのベースボールシャツが安くなっていたので購入。2000円以上購入者むけに特典をつけてくれていたので2015年のシーズンレビューのDVDとルーカスの記念本をゲット。僕にとってはまだFC東京を応援する前のものなので見るが楽しみです。

やることもなくなったので飛田給駅に戻る。駅前のマクドナルドにも青と赤のなにかをバッグ等につけたおばさんやファミリーの姿が。

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エアJリーグを眺めつつ帰路に。

試合のない日の飛田給を歩いて思ったけど、暮らしやすそうな場所ですよね。高校生のころ(2000年あたりかな)にジブリ映画の『耳をすませば』の聖地である聖蹟桜ヶ丘を訪れて以来、多摩方面の郊外のニュータウンに惹かれてきた僕。飛田給はいちど生活してみてもいいかなって思います。まぁ、今すぐってわけにはいかないですけど。はぁ……toto BIGとかあててお仕事辞めて飛田給でのんびり生活とかしてぇなぁ……。

戦利品はこちら。

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行ってよかった。

(※以下追記)

よくねーよ!!

4月11日にここを書き足していますが、本記事冒頭の先輩が云々と同様に3月頭の時点ではまだそうとう認識が甘かったと思います。ともかく不要不急の外出は論外で、こんな風に遊びに行っている場合ではなかった。今はもう食料品の買い出しと仕事等をのぞけば極力外出を控えています。

FC東京関係の本を読んでみた

いくつか出ているFC東京関連書籍。すでに持っていて積んでいるものも、売ってるけど買っていなかったものも、これを機に読んでみることにしました。

1.植田朝日『俺のトーキョー!  FC東京ラブストーリー』イースト・プレス、2011

一冊目はFC東京のコールリーダーの植田朝日さんの本。実は彼の本を最初に買ったのは15年くらい前。『BOCA―アルゼンチンの情熱』というボカ・ジュニオルスの本でした。共著は亘崇詞さん。マラドーナやリケルメやテベスが好きだったので購入しました。今その本を読み返すと対談の中でアマラオの名前が出てきたりして。しかもブエノスアイレスボカ地区の落書きが紹介されてるのですが、それがいわゆる「ベロ旗」と同じ絵なんですよね。もちろん元ネタはローリングストーンズのマークなわけですが、なんであれがFC東京の応援文化に(ゴール裏中央部の席を占有することから批判を浴びながらも)持ち込まれているのかのルーツを察することができたり。

で、この『俺のトーキョー!  FC東京ラブストーリー』なんですけど、繰り返し出てくる言葉が「インターナショナルスタンダード」

つまり、初期Jリーグよりもヨーロッパや南米のサッカー文化に照準をあわせての応援や東京ガス→FC東京化、その他のフットボールにまつわる様々な考え方ってことなんですけど、これは僕にとっても重要なことでした。

というのも、元々は海外厨で、マンチェスター・ユナイテッドが好きだったんですよね。なのでイングリッシュ・フットボールに関する本とかいろいろと読んでいたのですが、海外のサッカー文化を知れば知るほど感じるのは「自分はマンチェスター出身でない」という事実。

その後中村慎太郎さんの『サポーターをめぐる冒険』という本に出会いFC東京に関心を持っていき今に至るのですが、いちど海外厨としてインターナショナルスタンダードを知ったことが地元東京のクラブを応援することに繋がっていったんですよね。だからたとえば「FC+地名」というリバプールFCやFCバルセロナのようなクラブ名をそれこそインターナショナルスタンダードだから選択してくれたこととか僕にとってはとても大きかったし、当時の東京ガス内のJリーグクラブ設立準備事務局長だった村林さんがサポーターにクラブ名の意見を募ったっていう経緯がなければFC東京への僕の合流もなかったかもしれません。それくらいインターナショナルスタンダードは大事。

その辺は前に別のnote記事で詳しく書きましたので、よろしければ(7万字以上ありますが……)ご一読を。

あとこの本で描かれてる応援文化が始まるのが1994年なあたりも昔を懐かしく思い出します。というのも、数回の引っ越しをすべて都営三田線本蓮沼駅~西が丘サッカー場(現・味の素フィールド西が丘)の間で行ってきたので、ずっと西が丘が近所だったし遊び場だったんですよね。なので、当時の僕はJFLの東京ガスの試合を見に行っていました。Jリーグブームでサッカーが人気スポーツだったのもあって、友達のお母さんなんかの姿すらあった時代です。

FC東京を応援するようになってからなんとなく当時の東京ガスに対する印象を思い返すことがあるけれど、「Jリーグでもないサッカーを応援してる代わった人たちがいるんだな……サッカー詳しそう」というマニアックな人たちがいるという認識だった記憶があるんですよね。

で、この本を読むと、当時のなんとなくの感想通りに海外サッカーとかを見たり現地観戦したりしていたような、あの時代でもかなりマニアックなサッカー好きが集って、サッカートークする場だったそうで。小学生の僕の直感正しかったんだなと思いました。(ついでに書くなら、当時の西が丘の外の路上ではセリエAなどのユニフォームが売っていたはずで、あれは需要があったことも今更ながら気が付きました)

この本、巻末対談も面白い。元社長の村林裕さんと著者の対談なんですが、ユニークなサポーターと個性的なムラバが共に作り上げたから東京は楽しくて面白いんだなってことがよくわかります。人一倍「FC東京」や「東京」という名称に(FCでもなければF東京でもエフトーでもなく)こだわっているところや青赤にこだわっているところ。そしてJ1だけでなく、その向こうにある世界を目指しているところ。一昔前のネット用語でいうところの「ムネアツ」ってやつですね。

2.藤江直人『FC東京あるある』TOブックス 、2015

こんなタイトルですが、いわゆる「あるあるネタ」ではなく、FC東京の歴史上にあったことや豆知識をコンパクトに紹介していく本。

フジテレビの倉庫で眠っているだろうへぇボタンを、いったん埃を掃除したうえで(細かいところに詰まった埃を爪楊枝でかき出したうえで)押したくなる感じです。そして使用後のへぇボタンは返却せずに廃棄。

3.後藤勝『トーキョーワッショイ!―FC東京99‐04REPLAY』双葉社、2005

タグマ!にて『トーキョーワッショイ!プレミアム』を配信している後藤勝さんの単著。残念ながら絶版のため古本にて入手。(なので『トーキョーワッショイ!プレミアム』に相応の課金をしようと思ってます)

内容的にはJ2時代に夫婦でFC東京の試合を観戦を始めた著者の1999年から2004年までの記録で、アマラオがクラブを去り、初のタイトルであるナビスコカップを獲得するまでの過程を描いています。

シーズンDVDを見ながら並行して読むと、Jリーグ公式のDVDはある種公式的な作りというか、良いところだけひろって良く見せるということはやってるな、と思いますね。現地で実際に見たサポーターの素直な心情の記述は貴重です。

試合の感想のみならず、チケットゲットの過程やアウェイ参戦をどう楽しんだか(どう大変だったか)などなども描いていて、シーズンの追体験ができるのも魅力です。

さらに、サッカー文化論や、サッカーの魅力に触れてしまった人間の人生論なんかにもなっていて、けっこう胸に熱いものが込み上げてくるんですよね。心が震えるというか。

たとえば「いざ、さらば。我が心のKING OF TOKYO」なるテキスト。これは2003年のアマラオが東京を去る前のテキストです。以下に引用してみます。

 いつものようにDJによってプレイヤーの名前が読みあげられると、いつものように『You'll Never Walk Alone』のイントロダクションが流れだした。いつもの手順だがオーロラヴィジョンに映る絵がいつもとはちがっていた。それはアマラオの歴史であると同時にFC東京の歴史であり、王がその位を退くにあたりこれまでの功績を讃える、そんな映像だった。ぼくがアマを生で観ていたのはごくわずかなあいだだったけれど、彼がいかなる存在であるかを伝えるには十分な……まだ笛が鳴る前なのにグッと来た。ぼくは春先、アマラオにコメントを求めたときのことを思いだした。ポルトガル語で「どうもありがとう」と言ったら、彼はぼくが首から掲げていたプレスIDごと力強くぼくの手を握った。IDはくしゃくしゃになってしまったけれど、こちらの感謝に真正面から応えてくれたアマラオの気持ちが十二分に伝わってきた。なんていい人なんだろう。
 ブラジル人が十二年間在籍多現役最古参プレイヤーだという事実は重い。それも帰化せずにブラジル人のままで。ブラジル人プレイヤーにとって日本は本来出稼ぎの場だ。ほんのちょっとの腰掛けで終わってもおかしくない。それなのに1992年からフジとともにプレーをつづけ、数多くの日本人プレイヤーを送りだしてきた。彼がもういいかな、と思った2000年にもサポーターの願いに応じて留まってくれた。100人、1000人単位だったファンが4万人に増えていく過程を、ピッチから見守りつづけた。パルメイラスからやってきた25歳の青年が37歳になるまで東京に住んでいたなんて、短いサッカー人生のなかで、どれほど膨大な時の流れに感じられたことだろう。
 B級外人なる別称で呼ばれることもある。たしかにアマはリバウドでもロナウドでもなかった。でも誰に言われるでもなくディフェンスに走りまわったし、巧みにPKを奪うとそのPKは決して外さなかった。キッカーをツゥットや呂比須に譲って東京になじませようという気配りもあった。そんなにテクニックがあるほうじゃないのに、ときおり芸術的なゴールをマークした。勝ちゲームが終われば「シャー」のパフォーマンスでファンの歓喜に応えてくれた。ゴール裏がひどいブーイングでチームを迎えたときには、なんでそんなことをと、悲しい顔をしたこともあった。
 アマはただ戦い、ゴールを残すためだけのマシンじゃなかった。東京というクラブに関わるすべての人をつなぐかすがいのような抜きがたい存在だ。そんな彼にどうやって感謝の意を示せばよいのだろう。デイヴィッド・ベッカムのCM出演料みたいな報酬を支払うことはできないし、もしかしたらひとつもタイトルを獲れないままクラブを去ることになるなんて、あまりにも報われない。
 この日ファンにできることは、それぞれが素直に感情を表すことだけだった。好きだよ、愛してる、さようなら、ありがとう、そういった気持ちを、表情、言葉、身ぶり、チャント、拍手で伝える。東京の記憶を永遠に刻んでもらえるように。ぼくらがアマラオを忘れないように。
  
(中略)
 
 原監督の挨拶が終わると、誰もがアマラオとの別れを惜しんだ。ぼくは泣かなかった。リーグ戦の優勝はなくなったけど、まだ日立台もあるし、天皇杯のホンダFC戦もある。もし天皇杯がダメだったら? アマがいなくなったあとではあっても、来年タイトルを獲る。そうすればアマだけじゃなくて過去東京に携わり東京を愛したすべての人々に報いることができるはずだ。
 
 
 プレイヤーはいつか現役を退くし監督もいつかは辞める。そのときクラブは自分の人生のなかで帰属した一部にすぎなくなる。ただ、それだけじゃない。折にふれて思いだし、よいことがあれば分かちあえるものにもできる。
 そしてファンは一生クラブを離れない。

東京が好きな人以外が読んでも共感するところがあるのではないかと思います。

他に自分のなかで「なるほど!」と思ったのはナビスコカップ決勝での記述です。ここで「東海マーチ」のチャント「T! O! K・Y・O!」っていうアレが登場するんですよね。

 しばらくすると、ゴール裏中心部にいるサポーターが東京ファンの緊張をほぐすための仕掛けを始めた。ドリフ調のラッパを鳴らしたあと、こんな「応援歌」をやりはじめたのだ。
「タラララッタ、タラララッタ、タララララララ!
 タラララッタ、タラララッタ、タララララララ!
 タアーラー、タアーラー!
 T! O! K、Y、O!」
 T! O! K、Y、O! のコールに合わせ、5人の人文字隊が一文字ずつ「T/O/K/Y/O」のポーズをとる。東京ファンがいっせいに笑う。かつて対戦したときに東海大学の「東海マーチ」を即興でパクった「応援歌」の復活。メロディはプロ野球のスタジアムで聞かれるコンバット・マーチに似たのんきな、アレだ。ガチガチにストロング・スタイルで攻めてくる浦和レッズの応援とは対照的なユーモアのある応援。場の雰囲気は一気に砕けた。東京ガス時代の曲で盛り上げつつ、ファイナルの舞台を祝おうというもくろみ。ゴール裏のコールリーダーとコアサポーターがガスのジャージを着ていたのには、そんなわけがあった。

で、思い出すのが2019年のホーム最終戦となった浦和戦。あの試合前にもこのチャントとウェーブが巻き起こったわけですが、あの瞬間と繋がりました。アウェイ8連戦後に渋谷で行われた東京サポーター飲み会の場で、元社長のムラバこと村林裕氏が「ユルネバは構えすぎちゃうから。タララララッタ タララララッタ~くらいがちょうどいい」って言ってたんですよね。そして実際、ホームに帰還して挑んだ湘南ベルマーレ戦で固く、どこか空回りした空気になった。

その湘南戦を払拭するように浦和戦では東海マーチやウェーブで楽しい試合前の時間を過ごしたわけですが、それは東京の歴史の中から持ってきた東京のやり方だったんだな、って。

最後に。本書の2001シーズンあたりの記述に「FC東京中華思想」ってサイトが出てきたのでググってアクセスしてみたら、10年以上前のFC東京関係リンク集やなんかが出てきたので、観戦記やなんかをたくさん発掘できたのも収穫でした。かつて配布されていたという「東京なめンなよ」というフリーペーパーのWeb版なんかも(サイト自体は死んでいたのですが、いろいろと手を施して閲覧)。

4.植田朝日『俺のトーキョー! FC東京ラブストーリー2012~世界のTOKYO~』フロムワン、2012

「俺のトーキョー!」シリーズ第2弾。シリーズ第1弾が東京ガス時代からの歴史や文化を書いたものなのに対し、こちらはほぼ2011シーズンのこと。あとは2011シーズン中に復帰を果たしたルーカスと当時はセリエAでプレイしていた長友選手のことや大熊監督(当時)との対談、ACL参戦で世界にうってでた2012シーズンの展望について書かれています。

それで思ったのが、うちのコールリーダーはほんとうに東京のことをよく考えてるんだろうなぁ、ってことです。応援のためのアイディアも豊富だしひとりひとりの選手について詳しかったり調べていたり何かあったら足を運んでいたり、それだけじゃなくって他の東京サポーターや外部の人間がどう考えるかも込みで応援の方向付けをしているんだな、と。

5.植田朝日『俺のトーキョー! NO FC東京 NO LIFE』イースト・プレス、2016

「俺のトーキョー!」シリーズ第3弾。内容的にはACLでの戦いや、95年ころにアルゼンチンに行ってチャントの元ネタを向こうから掴んできた話、東京の選手などとの対談など。

今回はおそらく、新規が増えた東京のファン・サポーターへのメッセージ的なニュアンスが強く感じました。たとえばけっこうファイナンス面の話とか、スポーツビジネスとか、東京以外のサッカーの話とか、サッカー自体への理解を深めるともっと東京のことが見えてくるよ、って内容。

あと当時としては現役の東京の選手だった吉本一謙選手や河野大貴選手やオランダに移籍したばかりの太田宏介選手のみならず、2016年には引退していた阿部吉朗や宮沢正史、FC東京アドバイザーで元日本代表監督の石井義信さんなんかとも対談しているんですよね。このシリーズの第1弾ではムラバこと村林裕さん、第2弾では大熊清さんと対談していて、彼らが東京ガス時代にどんな役割を担ってどんな気持ちでいたのかを聞き出していて、ただのファンを喜ばせるためのインタビューではなく、歴史を繋いで継承するための本づくりをしているな、と思いました。よくクラブの歴史が100年を超えているところなんかでは「父が子に数十年前のカップ戦の決勝を語る」なんてことがあると言われていますが、サッカー史がまだ短い日本ではこういうやり方になっていくのかな、と思います。

前著でも思いましたが、植田朝日さんは本の中でも悪ノリとか言っていますし応援やトークが面白かったりする人なんですけど、それと同時にサッカー全体(ピッチ上のことであり、サポーターをふくむスタジアム全体であり、日本サッカー全体であり、世界のサッカー全体のこと)を冷静に公平に見ている人だなーという印象ですし、その目を東京の応援にいかそうとしている人なぁ、と感じました。

番外.小林有吾『アオアシ』小学館、2105~

これはいささか番外的ですが、東京のプロフットボールクラブのユースを題材にしていて、ある程度FC東京U-18がモデルになってるっぽいです。たぶん。少なくとも東京在籍時太田 宏介と原作者の対談イベントが行われたり、バングーナガンデ佳史扶の絵を作者がアオアシタッチで描いたりとかしてます。

JFLの東京武蔵野シティを露骨にモデルにしたクラブなんかも出てきます。あとは青森山田かな? みたいな高校も。

既刊19巻ですが、最新刊までいっきに読みました。ちょっと面白すぎでしょ、これ。『フットボールネーション』も読み始めたらいっきに最新刊まで読んじゃったけど、こちらも同様。

サッカー漫画としては、わりと無知めだけど才能のある主人公を設定することで、サッカーを少しずつ学んでいく過程が描かれていく。なのでサッカーに詳しくない読者でも理解しやすくなっていると思います。

ユースを題材にしているから青春ものとしても読めるし、ちゃんと恋愛要素もあるんですよね。それに親と子の話にもなっているので人間ドラマとしても面白く読めるようになっています。

ちなみに恋愛要素のあるダブルヒロインも可愛いです。あとダブルヒロインの肢体はともにエロいです。高校1年生という設定のはずなのにグラビアアイドルでもできそうな体をしてます。

FC東京U-18から法政大学に進学した(でいいんだよね?)久保征一郎のツイートを見ると、まるっきり主人公と同じ環境で生きてきたんだなって感じで、東京のユースの子がリアルさを保証してくれるという。

あと、これを読んでる最中にしょっちゅう聞いていたのが日向坂46の「ソンナコトナイヨ」や「青春の馬」(アキバのオタショップで働いているので入り口正面で大々的に商品を展開していたので)。

それで思ったのが、後者の「青春の馬」や通常盤収録の「君のため何ができるだろう」が、すごく『アオアシ』の内容とリンクしているんですよね。

それも当然で、元々アイドルにまったく興味のない人間だったので気が付いていなかったのですが、48グループや坂道シリーズみたいなグループアイドルって、ユースやジュニアユースと構造的によく似ているんですよね。

・ユースもグループアイドルも入ること自体が選ばれし限られた存在である。だが、入った後も夢に向かってがんばってる途上である。

・大勢の同世代と仲間でありライバルでもある。それも期間がある程度限られている。友情も育まれるし、互いに尊敬も嫉妬も抱きうる。

・それぞれ別の個性やポジションがあってチームやグループが作られている。突出した才能がある子もいる。

・ジュニアユースもユースも3年ずつだし、アイドルはある段階で卒業がやってくる。

・夢を追う過程を応援してくれる人々がいる。下部組織までチェックするサポーターやアイドルのファンたち。

・いつかは抜け出してトップチームとプロ契約を勝ち取ったり、女優やタレント、ソロシンガーとならなければならない。それは一握りの人間しかできない。

だから「青春の馬」を聞いていたことで、よりいっそう『アオアシ』にのめりこんでいきました。

ともあれ、すっかり好きになった『アオアシ』。小学館漫画賞を受賞するくらいですし、ふつうに読んでも面白いんでしょうけど、FC東京とBGMとしての日向坂48のおかげですごく感情移入して読めました。オタク特有のゲット力でちゃんとユニフォーム付き限定版を買ったりしましたし(ついでに言うならサッカーが延期中なため、じゃっかんドルオタ化しかけています……どうなるんだ俺は)。

DVDやBDを見てみた

1.『FC東京2015シーズンレビュー』

まずはこれ。EURO SPORTSでオマケとしてもらったやつ。

5年前だとまだ僕でも知っている選手がけっこういます。っていうか今もFC東京に在籍している選手たちが。

この2015年シーズンレビューを見通して思ったのは、「よっちこと武藤嘉紀は東京のアイドルだったんだなぁ」ってことです。この時代も応援していたかった。きっと僕も彼に夢中になっていたはず。

ダイジェストだからもちろん試合の流れがそれほどわかるわけじゃないのですが、重要なところで若きエースとして点を取っていたし、ハードワークしてくれていたように思う。

こんなに、東京サポからしてみたら可愛くって仕方ないんじゃないでしょうか。人柄も見た目もいいし。セレモニーなんか、自分の息子を送り出すような感覚になった人も多かったんじゃ。

ぼくの知ってる武藤嘉紀は日本代表でありマインツでありニューカッスルの選手としてユナイテッドから点をとったものの、その後いまひとつ試合に使われていない姿。

まだ30歳にもなっていない選手なんだからすぐに日本に帰ってきてほしいとは思わない。けれど、また味スタのピッチを駆け巡ってくれるなら、その時を楽しみにしています。

2.『FC東京2019シーズンレビュー』

知っているシーズン。味スタに初めて行ったシーズン。日産スタジアムで試合後に歌ったユルネバで号泣したシーズン。

あらためて見て印象的だったのは、最終節の横浜F・マリノス戦最初の失点の直後のシーン。東慶悟がシュートをブロックにいったものの、足にぶつかったボールはループシュート的な軌道となり失点。そもそも4点差の勝利が必要という困難すぎる闘いだったところに先制されて優勝がさらに遠のいた瞬間でした。慶悟がピッチに倒れたまま少し呆然としたような表情をしていたところ、彼の手をとって体を叩いて鼓舞したのはレンタル移籍でFC東京にきていたオ・ジェソクだったんですね。

この半年、ジェソクはFC東京のファン・サポーターの心をつかんだ選手だったと思うんですけど、ますます好きになったシーンでした。味スタにガンバ大阪を迎えたときには選手紹介でジェソクの名前が呼ばれたら大きな拍手になるだろうと思うし、そのときに脳裏をよぎるいくつかのシーンのひとつになるのかな、と。

あともうひとつ。ゴール裏映るたびに一瞬で見つけることができるな、コハロン。

3.『ユルネバ~キミはひとりじゃない~』

植田朝日初監督作品である本作。元々は彼の主宰する劇団コラソンの公演だったものの映画化だそうです。

西京極でJ2降格が決まったシーズンの貧乏サポーターとFC東京のことをまるで知らなかった女性が恋愛関係となり、すれ違いつつも歩み寄っていく話で、その周辺に他の東京なやつらが登場するって内容です。

そこでキーワードになるのが「ユルネバ」。女の子との関係でも、仕事でスタジアムに行けなかろうとも、ひとりじゃないということが繰り返し強調されて、ちょっとウルっときてしまいました。東京を好きになって良かったとも思いましたし。

『俺のトーキョー!  FC東京ラブストーリー』で語られていることと内容的にも通底していて、一貫して同じ想いで東京を応援し広めようと考えていることにも感銘を受けました。

4.『TOKYO 2000』

1999年のFC東京としての最初のシーズンと前年までの東京ガスの歴史、選手インタビューやサポーターたちの声などを収めたDVD。

当時のぼくは高校2年生。西が丘まで徒歩30秒程度の距離に住んでいたんだから、ある程度は見ていてもおかしくなかったはずなのに、FC東京が西が丘で試合していることをあまり認識していなかったような気がします。

家の向かいにampm(よくフローズンヨーグルトを食べました)があったし、当時の東京の胸スポンサーなんだから、なんかの拍子に知っていてもおかしくなかったような気がしますし、なんなら家のポストにチラシでも入っていたのかもしれません。いや、東京ガスがFC東京に移行したことは当時でも知っていたんですけどね。

94年に東京ガスの試合を多少は見ていたもののエヴァンゲリオンブームのころにオタク化し、パソコンゲームなんかにまで手を出すようになっていた時期なのでサッカーはほとんど目に入っていなかったんでしょうね。京浜東北線沿線の高校だったため埼玉県民が多かったのでクラスでは浦和レッズの話がよく出ていた記憶はありますが。

そんなすぐ隣でFC東京が産声をあげ、J1昇格を目指して闘っていた時代の映像。

今もFC東京で働いているから知ってる選手、本などで名前だけ知ってる選手の姿を見ることができたわけですが、なるほど、リアルタイムで見ていたらアマラオや佐藤由紀彦や鏑木享を好きになっていたのかなーと思いました。

さすがに現代の日本サッカーと比べてレベルは低いとは思いますが、選手や他の東京サポーターと情熱は共有できたんだろうなってダイジェストでも思えましたね。なんかきっかけさえ、当時あったらなぁ……。

聞こえてくるチャントが現在のものとおなじだったり、天皇杯でサンタ帽かぶっていたりするのもうれしくなってくるところ。

ところで、疑問に思ったのですが、ここ数年はFC東京U-23の試合を西が丘で見ることができるわけですが、現在のU-23と東京が陣取るゴール裏が反対なのはなんでなんでしょうか。

そして西が丘のオヤジって誰ですか。

5.『FC東京2000-2002シーズンレビュー』

J1昇格後最初の3シーズンを収録した2枚組のDVD。J2時代がまだJFLの延長っぽい感じだったのに対して、ホームゲームが(今となっては旧)国立で多く開催されたり、東京スタジアム(味の素スタジアム)が完成したりと、西が丘に比べてグレードアップ感があります。

しかし「なぜここで試合が開催されるの?」という試合も。東京対京都の試合が鹿児島の鴨池で行われたり、東京対柏の試合が金沢で行われたり、東京対ジェフ市原(当時)との試合が松本で行われたり……。

アウェイゲームもまだジェフはフクアリになる以前の市原臨海だったりして、90年代の匂いを引きずっています(当然か)。

アマラオはもちろん、ツゥットや佐藤由紀彦の活躍が印象的でした。あと鏑木享のドレッドが長くなっていたところ。

2002年からは原博実さんの原トーキョー。ナオこと石川直宏がマリノスから期限付きで東京にやってきたシーズンでもあり、馬場憂太、尾亦弘友希という初のユース上がりが誕生した記念すべきシーズンでもあります。ユース上がりの二人は僕とおなじ1983年生まれ。しかも馬場選手は同じ板橋区出身。三菱養和時代の彼と同じ三田線に乗っていてもおかしくはない程度には身近なところから出てきています。あとチャン(オ・ジャンウン)も。彼なんか16歳でデビューしちゃって、ほんとうに少年です。

隔世の感があるのが浦和レッズ相手に4連勝しているというところでしょうか。当時は得意の相手というイメージだったんでしょうね、きっと。

6.『FC東京2003シーズンレビュー』

原トーキョー2年目である2003年。

佐藤由紀彦がマリノスへ。そして石川直宏が東京に完全移籍という入れ替わりの年であり、梶山陽平や徳永悠平も出てきた年。そういってよければ入れ替わりのシーズンだったのでしょう。

その最たるがキング・オブ・トーキョーであるアマラオがクラブを去ったことでしょう。最終的に自分の東京での最後のプレーをかざるゴールを決めるなんて。キングのキングたるところでしょうか。自分があの時代にあの場所にいたら泣いてしまったことだろうと思います。

7.『FC東京2004シーズンレビュー』

原トーキョー3年目、そしてFC東京が悲願の初タイトルを獲得したシーズン。そしてルーカス加入の年でもあります。

ヤマザキナビスコカップ優勝。しかも浦和をくだして。道中には東京ダービーがあって。この歓喜、僕も味わってみたいものです。

原監督はスピーチ面白いですよね。15年前から解説者としてのトークは知っていましたが、スタジアムでファン・サポーターに挨拶するときもあんな感じなんですね。

8.『FC東京2011シーズンレビュー』

いやぁ、なんかちょっと泣いちゃった。

2010年の西京極でJ2に降格。その次のシーズンの戦いを収めたDVD。ご存じの通り、J2優勝による1シーズンでのJ1復帰と初の天皇杯優勝のシーズンです。

大熊監督のもと、選手同士が話し合ってパスをつなぐサッカーに切り替えていったりと、シーズンを通してチームが成長していったからこそのJ2ならびに天皇杯優勝だったんですね。

アウェイで昇格を決めて、応援に駆け付けたサポーターと一緒に喜ぶ様は、当時はまだ応援していなかった僕でも涙がちょっと出てきます。彼らはみんなで目標を達成した、やりきったんだということに。

9.『BAILE TOKYO』

FC東京の2015シーズンのドキュメンタリー映画。2016年2月20日公開公開。

このシーズンがどのような結果になったのかはもちろんシーズンレビューを先に見たので知っていました。基本的にはインタビューを楽しむ映画だったと思います。

DVDを見て思ったこと

シーズンレビューが大半と映画を見て思ったのは、「東京の人たちに各々の時代に楽しいことや幸せな瞬間があって嬉しい」ってことです。2018年にU-23の試合を2試合ほど見て、2019年の春先から味スタに行くようになった僕にとってはDVDで見た大半は未経験のこと。苦しい時期もたくさんあったのでしょうが、それでもFC東京にかかわるすべての人たちにとって歓喜の瞬間があったこと、それがうれしいんですよね。

去年の最終節前、僕が去年から東京を応援し始めたことをツイッターでいろんな人に「新しい青赤さんが増えてうれしい」って言ってもらったんですけど、その逆に「自分より前からの青赤さんに思い出がいっぱいあってうれしい」っていうのが各映像作品を見て、共通して思ったことでした。

そして今37歳の自分は今後40~50年は東京とともにある。その時々で様々な経験をすると思うと楽しみです。

Jリーグコラボランチパックを食べてみた

話題のアレです。

ツイート界を観察するに、意外と買えてない人がいる印象。うちから徒歩5分圏内に4件のコンビニと一軒のまいばすけっと(イオンのスーパー)があるのですが、どこにも売っていなかったです。

しかたないのでJR板橋駅前のデイリーヤマザキまで足を延ばしました。

そうしたらありました、1個だけ。

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実食しての感想は……「無難」。

美味しいは美味しいのですが、食パンにジャム挟めばそりゃ美味いだろっていう想像の範疇は飛び越えませんでした、さすがに。

あと断面を見ながら食べましたけど、正直、あんまり青赤にできてないですよね、これ。

スポンサーの商品を買ってみた

これを機にクラブ公式サイトのスポンサー一覧にある企業の商品を買ってみることにしました。なんなら継続して買ってみようと思っています。これこそスポンサードに対するもっとも正当な見返りというものでしょう。

まぁ、個人で買える範囲ですが。

1.明治プロビオヨーグルトR-1ドリンクタイプ

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巣鴨駅のNewDaysで購入。美味しいけどあっという間に飲み終わってしまいますね。また飲むしかない。そして腸内環境をよくするしかない。

2.新宿とんかつさぼてん

特撰やわらかヒレかつ22層やわらかロース重ねかつのふたつを購入しました。

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さすがに美味いし22層のほうは柔らかい。おろしポン酢で食べるのも最高。

3.アミノバイタル

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ご存じ味の素の製品も。

とはいえ、味の素製品なんてサッカーもFC東京も無関係にあらゆる家庭に入り込んでるわけで。

なので、普段買わないアミノバイタル製品を買いました。

ゼリー3種。仕事の前か休憩中のエネルギー補給に使いたいと思って買いました。良ければ継続していきたいです。

アミノバイタルカプシはカプシエイトという辛くない新種のトウガラシの燃焼成分でダイエットをサポートしてくれる製品。上記の新宿さぼてんのとんかつを食べて蓄積したカロリーを燃焼してくれます。つまり両方買えば実質カロリーゼロということです。

俺の「東京」を思い返してみた

最後に、FC東京関連の直接的な何かではないのですが、自分史のなかで「東京」なる街をどのように捉えてきたかをちょっと思い返してみました。

1.東京音頭

FC東京でも歌われてるこの盆踊りの定番曲。TOKYOの夏の屋外レイヴにおけるアンセム。

小学生時代に本蓮沼公園の盆踊りで太鼓を叩いていたし、今でも盆踊りの音が直に聞こえてくる場所に住んでいるので毎夏は盆踊りのダンストラックが自然と耳に入り続ける生活を送っております。

そんなぼくにとって最古の「東京」って東京音頭や大東京音頭なんじゃないかって気がします。

ちなみに、オバQ音頭や板橋音頭も好きでした。ダンスミュージックって良いよね!

2.東京ラブストーリーのOP

小学生なんでトレンディドラマは見ていませんでしたが、母が小田和正好きだったこともあって、OP映像と曲とタイトルは強く印象に残っていました。

なんか若くて仕事もしている人たちが恋する舞台が東京なんだろうとは思いましたけど、まだぼくは第二次性徴以前でしたね、当時。子供の作り方すらマジで知らなかったころだと思います。もっぱらドラクエとかをやっていた時期です。今ドラクエ3をやるなら4人中ふたりを女性にしますが、当時は全員男でもまったく気にならなかったくらい異性への関心が薄かったころでした。でも、ともかく大人は東京で恋愛とかしてるんだ、というのを初めて認識したし、それにふさわしいおしゃれ空間なんだとも思いましたね、たしか。

3.ストリートカルチャーから東京を眺めたころ

中学1年生になり、精通も経験してマセガキになり始めた95年ころ。

小室哲哉プロデュースのtrf(当時の表記は小文字)なんかを通じてDJや盆踊り以外のダンスミュージックに関心を抱くようになりました。

そんな折に赤羽駅近くのコンビニで見かけた雑誌が『東京ストリートニュース!』。のちに「ストニュー」と略されるようになりますが、当時はまだTSNという略称だったと思います。むしろストニューと略されて支持を集めていたころには関心を失っていました。

その初期東京ストリートニュース!では高校生のDJ、高校生のダンサー、高校生でドレッドヘア、高校生の合コンやなんかが取り上げられていた記憶があります。とくにダンサーは活動場所が屋外だったりして、ストリートカルチャーの活動場所としての東京というものがこのころに刷り込まれていきました。つい先日まで小学生だった時期なので、てっきり高校生になったら自分もろくでなしBLUES的な高校同士の闘争の場に身を置くことになると思っていたのですが、DJをやるという選択もあるんだということを知りましたね。それができるのが最先端都市東京なんだ、と。

さらにいえ東京ストリートニュース!をそのままテレビバラエティ化したような「東京Jr.JUNK土曜は放課後」も放送していて、高校生がストリートでラップしたりダンスしたりDJしたりしていました。

派生した関心は上記の通りですが、trfといえば当時はTOKYO FMで毎週土曜日にラジオ番組をやっていました。聴いてました。ラジオなんて小学生時代は聴かなかったので、TOKYO FMなる字面のおしゃれ東京感をここで初めて知りましたね。

このラジオ番組、同時期にテレビ東京で放送していた「クリスマスキス〜イブに逢いましょう」なるサイコサスペンスドラマとコラボしていました。というのもドラマの主題歌をtrfが歌っていたからなのですが、ドラマ内でtrfのラジオ番組が実際に放送されている設定で、番組前のハガキ選びの様子なんかもドラマ内で流れるんですよね。なので、trf目当てで見ていたのですが、この番組、東京タワーが月に突き刺さっている(アングル的にそう見える)絵が毎回のように登場していたのが印象的で。東京のランドマークである東京タワーとTOKYO FMコラボから、ザ・東京なドラマだと思っていました。

ちなみにこのドラマ、テレ東だったこともあってか低視聴率番組だったそうですが、けっこう面白くって、また見たいんですよね。低視聴率ゆえにソフト化などはされてなさそうですが。

4.オタク化して見た東京

中学2年生となった96年は、クラス替えで出会った友達がオタクだったのでぼくもオタク化。これが東京での行動範囲を広げてくれました。

父がなんかの用事で東京ビッグサイトに行ったときについていったのですが、そこで初めてゆりかもめに乗り、その後は人生で初めての秋葉原へ連れて行ってもらいました。エヴァンゲリオンのLDとビデオが死ぬほど売れていた時代です。秋葉原に行ったのも初めてですが、東京湾周辺の最先端な感じに「これが東京か!」と思いましたね。

オタクになったら当然いきつくのが押井守。80年代から90年代にかけての彼は東京論のような作品をよく作っていました。もちろんその最たる作品が機動警察パトレイバーなことはいうまでもありません。埋め立て地だとか、遠景に都心のビルがあり近景に昭和の家屋があるような東京の姿と都市論なんかに興味を持つようになったり。作り上げてはいつの間にか取り壊され次の建物になっている、作中の言葉でいえば悪い冗談に付き合ってるようなものという、刹那性の高い東京の姿というのを初めて認識したころですね。

そして97年のエヴァンゲリオン劇場版の公開。中学2年生の3学期でしたが、友人たちと3人で初日に徹夜で新宿ミラノ座(今はゴジラ付きのTOHOシネマズになってるところ)に並びました。まぁ、いけないことっちゃいけないことですが。これが「眠らない街」を初めて経験したできごとだったと思いますね。歌舞伎町ですからね。

TBSラジオで林原めぐみのTokyo Boogie Nightを聞き始めたのもこの頃。この番組のタイトルと同名の楽曲「Tokyo Boogie Night」はもともと80年代末の『機動戦士SDガンダム MK-II』というアニメの主題歌。アニソンながらも80年代の東京という都市でのトレンディな恋愛を歌っていて、自分よりも15歳年上の人の経験した過去の東京というものに思いをはせることとなりました。数字上のバブル経済は89年には終焉していたはずですが、曲としてはバブルの香りが残ってるのではないでしょうか(バブルのころは幼児だったので実際どうなのかはよくわかりませんが)。

98年には高校生となったわけですが、このころ初めて京王線に乗りました。というのも『耳をすませば』というジブリアニメをこの時期になってようやく見た結果、聖地巡礼がしたくなったからです。当時すでにWindows98マシンでインターネットに接続していたので一瞬で検索できました。

新宿から乗った京王線は特急。当然のように飛田給はスルー。聖蹟桜ヶ丘で降りて街中を探索して、自分が住む23区とは違った開発の歴史を持つ郊外という空間を初めて経験しました。知識としては23区以外の市町村の存在は知っていましたが、池袋や新宿に行くことはあっても、わざわざ西東京に行く機会なんてなかったので。

と同時に、耳をすませばと裏表の関係にあるのは『平成狸合戦ぽんぽこ』。耳すまで月島雫たちが生活し、カントリーロードの替え歌であるコンクリートロードとして歌う東京のニュータウンというのは、ぽんぽこの作中で人間が開発していくあの土地ですので。

5.踊る大捜査線で反復される湾岸

『踊る大捜査線』はいうまでもなく押井守の機動警察パトレイバーを参照して作られています。案の定ハマったぼくは(といっても劇場版1作目にも間に合わなかった後追い組)ロケ地巡りに行きました。パトレイバーの世界で特車二課が存在する東京湾を、その反復として登場した踊る大捜査線のロケ地巡りで体験する、という。都市博開催中止と開発計画の見直しで空き地だらけになりつつ、同時に最先端でもあるという歪な臨海副都心の姿を認識した時期です。

6.TMネットワークを後追いして見た東京

94年に活動を終了したTMネットワークが活動を再開したのが99年。今にして思えばたかが5年中断したに過ぎないわけですが。この時期にTMネットワーク(ならびにパソコンでの音楽制作)と出会い、80年代から94年にかけてのTMネットワークの曲を後追いしていきました。そして結成のストーリーも知ることに。

TMはタイムマシンの略ではあるのですが、それはエピックソニーからデビューする際に会議で決めた後付けの略称で、本来は多摩のことだったんですね。

TMはなかなか一様に捉えることの難しい音楽ユニットですが、94年の終了時にリリースした当時としてのラストシングル「Nights of The Knife」。これって最後だからかもしれませんが東京という都市のことを歌っている気がしていました。「ハイウェイが ビルの谷間を 突き抜けてく贅沢な夢を かなえている街」なんて歌詞、去年カシマスタジアムから高速バスで東京駅に戻ってきたときに見た夜景そのものですよ。

7.勝手に観光協会と銀杏BOYZの東京

みうらじゅんさんと安齋肇さんの勝手に観光協会。このふたりが2003年から2005年にかけてやっていたJ-WAVEのTR2というラジオ。大学生時代にこれを聞いていました。(ちなみにTR2でFC東京のCMが流れていました。味スタの存在を初めて知り「いつか行くかも」と思ったのがこのCMでした。けっきょく15年経過してから行ったわけですが)

勝手に観光協会というのは日本の都道府県を視察してご当地ソングを宅録ならぬリョカ録(旅館で録音)し、ポスターも制作するユニットで、東京も当然視察場所に入っていました。

作詞作曲のみうらじゅんさんは京都出身のため、東京に住んで長いというものの上京した人間の目から見た東京になっています。

あとは山形出身の銀杏BOYZの「東京」。『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』というアルバムのラストに収録された10分ある楽曲です。

勝手に観光協会も銀杏BOYZも、ともに東京出身の自分でも共感できる点もあれば、自分にはない経験も歌われている東京の歌。

8.知的な関心から見た東京

哲学者・批評家の東浩紀のファンとなったゼロ年代。彼と社会学者の北田暁大との共著に『東京から考える』という本があります。押井守で都市論に興味を持ってから10年。いよいよそういうものを読む時が来たようです。

吉見俊哉と若林幹夫の編による論文集『東京スタディーズ』とか。なんか他にも当時読んだ気がしますが、けっこう手放してしまいました。

後に出た速水健朗 『東京β: 更新され続ける都市の物語』『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』は読んでないな……。

こうしてみると、ほんとうに「飛田給」は存在感薄い地域だなと思いますね、やっぱ。中村慎太郎さんの『サポーターをめぐる冒険』でも30年以上東京で生活していても知らなかったなんて記述が出てきますし。

それでもFC東京と飛田給にたどり着けて良かったですよ、ほんと。はやく最高の週末を迎えたいものです。

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