見出し画像

保守的な消費 〜『紅の豚』を観て〜

あなたが断捨離をするとしよう。家にある本のうち半分を売るなり捨てるなりすることに決めた。手元にある本のうち、半分は既読、残り半分は未読だ。
さて、あなたは既読の本と未読の本、どちらを中心に手放すだろうか?

人によっては、「なんと馬鹿げた質問だろうか、当然既読の本を手放すに決まっている。未読の本を捨てるなんて、金をドブに捨てるようなものだ」と思うかもしれないし、きっとそういう人の方が正しいのだろう。

私は、迷うことなく未読の本を手放す。もちろん既読の本の中でも手放すものや、未読の本で手元に残すものもあるだろうが、ドナドナされる本の大半は未読のものとなることだろう。

なぜかと問われると困るのだが、多分読まなかった本には読まなかっただけの理由があるからだ。往々にして、「買いたくなる本」と「読みたくなる本」には乖離があると思う。これは「買いたくなる香水」と「使いたくなる香水」という関係にも当て嵌められそうだが、それはまた別の話…

私が既読の本を手元に残しておく理由は、同じ本を複数回読む傾向にあるからである。中には10回以上読んだものもある。いい作品だな、と感じたら、2回か3回は読むことが多い。

同じ本を読むということは、前回読んだ時と、多かれ少なかれ近しい感動を得ようとしているわけであり、その点において私の読書の仕方は「保守的」だと言える。未知を求める「進歩的」な態度とは対極をなす。

私はあまり映画を観ないが、映画に対しても同様に保守的な態度をとっている。私のコンテンツの消費の仕方は、全体的に保守的であると考えていただいて差し支えない。決まったお店に何度も足を運ぶタイプだ。

今までの人生の中で、一番繰り返し観た映画は、宮崎駿監督の『紅の豚』か、ジャン=ピエール・ジュネ監督の『アメリ』のどちらかだ。後者はフランス語の勉強のために観ていたので(もちろん好きな作品ではある)、純粋に好きという気持ちから観ていたという意味では、『紅の豚』が一番好きな作品と言える。今まで観た回数を数えたわけではないが、多分20回くらいは観ていると思われる。

今日6月1日はフランスは祝日だったため、久しぶりに『紅の豚』を観ることにした。「宮崎さんはどんな想いでこの映画を〜…」なんて考えながら観ていたら開始数分で涙が出てきてしまうくらいにはこの映画に愛を持っている私が、何回も観た中で一番好きなシーンを紹介しようと思う。祝日なので、香水以外の話、ということで…
(あらすじ等はここでは割愛するので、まだ観ていない方はぜひ検索してみてください)

当該シーンは、ミラノに戦闘艇を修理しにきたポルコが、映画館でかつての戦友フェラーリンに会うところ。2人が観ている映画は、ディズニー調の作品で、ミッキーのような登場人物が怪獣に拐われたポパイのオリーブのようなキャラクターを飛行機で助けるというものだ。
ポルコのセリフをP、フェラーリンをF、()内は映画のシーンとする。

P:少佐か、出世したなフェラーリン
F: 馬鹿が、何で戻って来たんだ
P:行きたい所はどこへでも行くさ
F:今度は当局も見逃さないぞ。尾行されなかったか?
(ミッキー、1匹の怪獣を倒す)
P:まいてやったよ
F:お前には反国家非協力罪、密出入国、退廃思想、ハレンチで怠惰な豚でいる罪、ワイセツ物陳列で逮捕状が出される
P:フハハハハ!
F:バカヤロウ!笑ってる時か。
(ミッキーの飛行機、墜落しかける)
F:お前の戦闘艇も没収すると言ってるぞ
P:ひでぇ映画じゃねえか
F:なあマルコ、空軍に戻れよ。今なら俺達の力で何とかする
P:ファシストになるより豚の方がマシさ
F:冒険飛行家の時代は終わっちまったんだ!国家とか民族とか、くだらないスポンサーを背負って、飛ぶしかないんだよ
P:俺は俺の稼ぎでしか飛ばねえよ
(ミッキー、最後の敵を倒す)
F:飛んだところで豚は豚だぜ
P:ありがとうよフェラーリン。みんなによろしくな
(ミッキーとオリーブ、チュー)
F:いい映画じゃないか。気をつけろ、奴らは豚を裁判にかける気はないぞ
P:ああ
F:あばよ戦友

(※フェラーリンの言う「マルコ」とは、ポルコのこと)

ポルコがなぜ豚になってしまったのか、ということについては数多くの解釈があり得るが、一番の理由は、国境などというくだらない線により引き起こされる戦争を中心とした人間の行いに嫌気がさした、ということだろう。
映画の内容は“人間っぽい”ベタベタの内容で、ポルコはそれを「ひでぇ映画」と否定するが、フェラーリンは結末を見て「いい映画じゃないか」と肯定する。
そんなポルコが、フィオによって、「人間も悪くないな」と思うようになっていくわけだが、このシーンがそのポルコの変化を暗示しているように思われる。

私は、ポルコがフィオにより徐々に人間の良い部分に気づかされていくプロセスがすごく好きだ。フィオの真っ直ぐさと勇敢さに、ポルコ同様、私も心打たれていく。この映画の中で、一番カッコいいのは、実はフィオなのではないか、とすら思う。

ところで、豚となってしまったポルコだが、彼は完全に人間に嫌気が差してしまっていたのだろうか?私はそう思わない。
なぜなら、彼の戦闘艇には、必ずイタリア国旗が刻み込まれているからだ。人間が作ったくだらない「国」という概念を嫌っていたら、国旗をデザインとすることはまずないだろう。豚になった後も、彼の心の中にはどこか「人間らしさ」が常にあったのだと思う。

保守的な消費をする私は、好きなコンテンツについて語り出すと三日三晩かかるので、今日はこのくらいにしようと思う。
あなたは保守的?それとも進歩的?好きな本や面白い映画のオススメ、いつでもお待ちしております!

実は、この文章を書きながら、本日2回目の『紅の豚』鑑賞をしていることは、内緒…何度観てもいいなぁ…

次回こそ、次回こそ香水のことを書かなきゃな…次回も乞うご期待!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?