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香料メーカーと調香師

「フランカー」という言葉を聞いたことがあるだろうか?ラグビーやアメフトのポジション名でもあるようだが、香水の世界でもこの言葉はよく使われる。

例えばDiorの“Poison”という香水には、“Hypnotic Poison”や“Pure Poison”といった、同じボトルで同じ名前を持つ別のバージョンの香水が存在する。これら別バージョンの香水のことを「フランカー」と呼ぶ。フランカーに対して元々の香水をここでは「クラシック」と呼ぶこととする。
フランカーの定義は上記の通り、同じボトルで同じ名前を持つ、ということであり、したがって中身の香水が元々のクラシックと似ても似つかないということはよくある。

さて、調香師としての力量を示す一つの指標として、調香したクラシックの数がある。どれだけフランカーを調香しても、力量という意味においてはあまり評価されない(香料メーカー内での売上はまた別の話)。クラシックを仕上げてこそ、一流の調香師と言える。
当然のことながら、クラシックを仕上げるのは簡単なことではない。そして、近年これだけフランカーが増えてきていることにより、一人の調香師が担当するクラシックの数は減っているように思う。

また、最近の傾向として、一つの香水に複数の調香師のクレジットが付けられることが増えてきた。実際に一人の調香師だけで最初から最後まで一つの香水を仕上げるのは(特にそれがクラシックの場合)簡単なことではない。
ちなみに、そういったことは過去においても頻繁に行われていたが、全ての調香師の名前が表に出ることはなく、だいたい代表して一人の名前がクレジットとしてついている。
結果として、クラシックを担当したところで、その栄誉を複数の調香師で“山分け”することとなるので、評価の上がり方は昔に比べたら相対的に低いように感じる。

例えばフランスのブランド□□の××という香水は、調香師○○によって全て調香されたとされているが、実は調香師○○は最後まで仕上げることができず、途中から調香師△△がこの香水を引継ぎ仕上げることとなった。これは業界では知られていることだが、業界の一歩外に出ると誰も知らない。結果的に調香師○○は、××を調香したことで名声を獲得した。

(問)空欄□□、××、○○、△△を埋めよ。ただし記号の数は文字数を表してはいない。

一人当たりのクラシックの数が減り、さらに一つの香水に複数の調香師がクレジットされるようになったことにより、本来であれば「マスターパフューマー」や「スター調香師」といった称号は、過去と比べて使用頻度が減ってもおかしくない。むしろそうあるべきだろう。
しかしながら、それらの称号は今なお過去と同様か、それ以上の頻度で使われている。なぜか?

ここから先は、私が見聞きしたことと私の推測に基づいて話を進めていく。

大手香料メーカー3社(ここではA社、B社、C社としよう)において、調香師の取り扱われ方はかなり差があるようだ。

A社には「スター調香師」と言われるような人はいない。それぞれの調香師が粛々とプロジェクトに取り掛かっている。スター調香師がいない以上、会社は調香師に大きなお金を投資しているというわけではなさそうだ。

B社には一部「スター調香師」と言われる人がいる。会社の中でも実力がある一握りの調香師がこの称号を獲得している。会社は彼らの大きな金額を与え、スター調香師として祭り上げることで顧客を獲得している。彼ら彼女らはいわば実力を伴った“客寄せパンダ”のようなものだ。

C社の調香師は全員が「スター調香師」だ。会社の中でも崇め奉られている。ジュニアパフューマーからシニアパフューマーになる際に、盛大なセレモニーが行われ、フランス語では通常弁護士などの職業にしか使われない敬称"Maître"を用いて呼ばれる。当然、会社はかなりの金額を調香師にかけていると思われる。

ジャンミッシェル(私が一緒に働いている調香師)が、何年か前にC社のある調香師とプロジェクトで一緒になった。その調香師は、その1ヶ月ほど前にシニアパフューマーになったようだが、ジャンミッシェル曰く「大統領のような態度だった」とのこと。周りのアシスタントをこき使い、Maîtreと呼ばれてふんぞりかえっていたそうだ。しかし、その調香師はクラシックを一つも作っていない。その人が担当しているプロジェクトの大半は、言葉を選ばずにいうとかなり“チープ”なものだったようだ。そして残りはフランカーだ。だからジャンミッシェルはこの調香師と一緒にプロジェクトに取り込んでいた。その調香師一人ではプロジェクトを回せないと会社が判断したのだろう。そして、ジャンミッシェルの名前は、そのプロジェクトには出てきていない。

以上のことより、今日においてもマスターパフューマーやスター調香師という言葉を頻繁に耳にする一つの理由は、実力はさておき、一部の香料メーカーが調香師を上記の方法で売り出しているからだ、と考えられる。
先ほど挙げた売り出し方の違いにより、香料メーカーABCの間で、クリエーションに何らかの差が出ているか、というところまではよくわからない。いずれこれについても分析してみたいと思う。

昔は調香師はあくまでも影の存在で、表に名前が出てくることはあまりなかった。それがいつの頃からか、調香師にもスポットライトが当たるようになってきた。それ自体は良いことだと思う。特に、良い香水を「依頼した」人だけではなく、実際に「作った」調香師が評価されるという点において素晴らしいことだ。
(ちなみに、私のフランスでの大学院の論文の担当教授が、「Serge Lutensの香水はSerge Lutensが調香している訳じゃないの?」と私に尋ねたことがあった。一般の人は当然調香師について詳しいわけではないので、至って普通の質問ではあるが、フランスでもこんなもんだ)

しかしながら、近年は過剰なまでの調香師崇拝の傾向を感じなくもない。そして、それがメインストリームにおいてもニッチフレグランスにおいても、往々にして単なるマーケティングツールとして使われている側面も否定できない。
調香師になることは大変だし、素晴らしい調香師がたくさんいることも事実だが、実態のない行き過ぎた礼讃はいささか考えものである、と昨今のマーケットを見ていて思ってしまう。
今日も昨日したフワフワモコモコの話と近くなってしまったが、香水って、イメージと実体がかけ離れている世界なんだなぁ、と何となく認識してもらえれば、と思う。
「香水の世界の数多の嘘を白日の元に晒してやる!」なんてことは思わないが、読んでくれた方が、あまり余計なことを考えず、自分の鼻を信じて香水を楽しめる一助になれば、これ幸い…

ここまで読んでくださってありがとうございました。次回も乞うご期待!

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