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なんだかんだ一番一緒にいるあいつ②

一説によると現代人が1日に受け取る情報量は江戸時代の人たちの一年分、平安時代の人たちになれば一生分とか言われてます。でも人間の脳の構造は昔からほぼ変わってないので、昔に比べて同じ身体に対して、大量の情報が入ってきてるわけです。脳の限界がどのくらいなのかよく分かりませんが、さすがに全ては処理しきれていないはずです。

だから今って流通してる情報の量が膨大すぎて混乱することが多いと思います。特にスマホが出始めてから余計に。あとテレビとか新聞が主な情報源だった時と比べると、今は発信元の裾野がどこまでも広がってて、正しいものから誤ったものまで、深いものから薄いものまで、そしてジャンルも形も色々な情報が無数に飛び交ってます。

その中から自分が自信を持って主体的に選ぶのは難しくて、どちらかというとほとんど選ばされている気がします。もっと言うと、自分にとって最も必要な情報、言い換えると自分にとっての「答え」みたいなものを見つけるのって世界中の海から、この世に1匹しかいないと噂される伝説の魚を見つけるレベルの話で、存在すら疑わしいです。というのもそもそも何が「答え」か分からないので、仮に途中で出会っていたとしてもそれが「答え」とは認識せずにスルーし続けてまだ見ぬその「答え」を探し続けるような感じ。情報が爆発的に増えて以降の世の中ってなんかそんなイメージです。

ちょっとぼやけた話になりました。厳密にはインターネットですが、スマホというツールを通して入ってくる情報が増えて、今日行くお店から、職業に至るまで選択肢が広がった。その反面、無意識のうちに情報の波に飲みこまれ自分を見失いやすくなり、時間も奪われ、世代間の分断を生み、結果的に不幸にもなりかねない。便利になりよくなった世の中に光が当てられがちですが、スマホの登場と情報が増えたことでそういった影もできています。

割と何でもオンライン上でできるようになっているので、1日の時間の割合として画面を見ている時間が増えるのは自然ですし、オンライン上での何らかの活動やコミュニティが心の拠り所ということもあると思います。なので単純にスマホを使う時間を減らそうとか、絶対にリアルな世界での活動の方が重要だみたいなことではないんですが。

テクノロジーの発達で便利になった恩恵を受けたり、そこから生まれた新しい価値観や文化に触れたりすることがポジティブに働いて、人生が豊かになる可能性は高まってると思います。

でも無目的に、自分でも何を求めているのかさえよく分からないのに何となく情報の波を泳ぐのは、リスクもあるし、抜けられなくなったりすることもあるし、ちょっと危険。違和感を覚えたら立ち止まって考えてみるのがいいかもしれません。

画面を見てオンラインに費やす時間が増えた生活を前提に、ときどきはスマホを置いて、ネットの情報だけでなく実際にどこかに足を運んで、体を動かして体験するのも大事というありふれた結論になってしまいますけど、そうでないと何事も判断できないし、選べないんじゃないかなと思います。

スマホを通して得る情報って全て自分でない他人のものの見方とか価値観ではあるので、当たり前ですけど自分がそれをどう受け取りどう感じるかが1番です。自分自身と外から入る情報とのバランスをとり、いい距離感を探って、意思決定をそういう外の誰かに委ねることなく、自分が常に主導権を持っておけばまあ大丈夫なんじゃないでしょうか。

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