澄んだサファイア
前回の五つ葉さんの記事に続いてボクからも曲、アーティストについて書かせて頂こうと思う。
どうしたって
ボクは宇多田ヒカルが好きだ。
物心つく前から、親の車の中で1位2位を争うほど聴かされていた。
知らない内にサビは覚え、タイトルも徐々に覚えていったそうだ。
歳を重ねるに連れ、様々なアーティストから刺激をもらうけど、ふと気がつくと宇多田ヒカルの曲に耳を預けている自分に気がつく。
大抵そういう時は何かシコリのようなものが胸の内にある時だったりする。
同時に宇多田ヒカルさんの歌を聴くとシコリを取り除いてるような。
そっと
宇多田ヒカルさんといえばエヴァンゲリオンがくっついてくる人もいるかもしれない。
なぜ宇多田ヒカルといえばエヴァンゲリオンなのかについてはその人の想像に任せる。
ボクはエヴァンゲリオンの虚しい世界観(もちろんイイ意味で)と宇多田ヒカルさんのハッとするような言葉の選び方に惹かれる。
決して飾らない、等身大で、ありのままをそのままで。
なぜか鏡に似た空気。
追いかければその分だけ離れる。いつだって曲に触れることができない。そのもどかしさまで曲の一部だったりする。
応援歌で叱咤激励で喪失で歓喜したりする、いつも「そこ」であり続ける。
迷わず 君だけを見つめている
どの言葉だっていいんだ。ただ、選んだその意志の上にボクは乗っかりたいだけなのかもしれない。
これからもずっと隣に、気がつけば再確認できるみたいに。その存在と一緒にまた明日も前を、上を向いてる。
ボクはあなただったのかもしれない。
あなたはボクなのかもしれない。
聴く度に一人称が変わっていくアーティストは彼女だけかもしれない。
きっと、我が子を見守ってるのかもしれない。成長する音楽があるとしたら彼女が先駆者じゃないか、そう感じる。
嘘偽りのない、キレイな言葉で編んだ歌詞だから。そっと大事にしたい。
それが彼女の歌。
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