言葉と、感動と、バームクーヘン。
子供のころに食べた、
バームクーヘンの味を覚えていますか?
当時、小学4年生の僕は、母とバームクーヘンを食べていた。
母「このバームクーヘン美味しい?」
僕「…バームクーヘンの味がする。」
母「従弟の〇〇くんは、好きって言ってるよ。」
僕「この世のすべてのバームクーヘンを食べたわけじゃないから、好きかどうかなんて、わからないよ。」
当時の僕は、「感動」がわからなかった。
親戚に同じ歳の男の子が2人いる僕は、何もかも比較されて生きていた。
いつしか僕にとって、バームクーヘンの味は、「好き」でも「嫌い」でもなく、どれだけ食べても「バームクーヘンの味」だった。
** あまりルールをつくりたくないのですが、これだけはルールとさせてください。「1人以上に感動を贈ろう」「企画で大切なのは感動屋になることだと思うんです」**
「言葉の企画」に参加したメール、招待状に書いてあった。
「言葉の企画」一週間前。
事前課題の70人分の企画書が送られてくる。
出席番号1番から、順番に見ていく。
そして、スマホのメモ帳に感想を書きこんでいく。
なんとか感動ポイントを探そうと、言語化しメモに書きこむ。前日の夜までに、なんとか70人分読み終わった。
メモ帳を読み返してみて、僕は愕然とする。
そこに書かれていたのは、”感動”のメモではなく、ただの”粗探し”のメモだ。
人のいいところだけを見続けるのは、難しい。
できていない自分が、どんどん浮彫になってくる気がする。
どうして僕は、素直になれないんだろう。
どうして僕は、バームクーヘンを美味しいと思える人になれないんだろう。
「言葉の企画」当日。
みなとみらい。
知らない場所、
知らない人、
知らない分野。
知らない、知らないことが、たくさん。
足が震える。
喉がしまる。
息がしづらい。
急いでスマホを取り出し、忙しいフリをする。平気なフリをする。
どうして、僕は、もっと素直に人とつながれないんだろう。
…言葉の企画がはじまる。
そして、この言葉に救われる
** 半年かけて伝えたいことは、「何者か」には誰もなれない。あなたは、何者かになれない。あなたは、あなたになる。自分がもっと、自分になるための言葉を探してほしい。**
涙がでた。でも、我慢していた。
本当は、泣き出したかった。
だって、僕は、はじめて自分のことを「好き」になれたんだから。
言葉は、なんてすごい発明だ。
現状は、何も変わってないのに、僕は未来に向けて歩きだそうとしている。
** みんながあつかう言葉に、こうなってほしい、こう伝わるといいなという企てという、「→(やじるし)」をくわえること。**
「言葉の企画」主宰の阿部さんは、これを狙っていたのだろうか。
少なくとも僕は、そのやじるしに、大きく導かれてしまった。
言葉の企画から、三日後
いま、このnoteを書きながら、あのとき食べたバームクーヘンの味を思い出す。
そして、僕は、思わず笑ってしまうんだ。
「あぁ、あのときのバームクーヘン、全然美味しくなかったな」って。
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