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アスファルトの上で横になりたい

「足めっちゃしっかりしてますね。」
ジムのトレーナーに褒められたことがある。下半身が引き締まっている理由には心当たりがある。僕は、散歩をよくする。

正確には、強迫観念に近い。
例えば、暇な日曜日、昼過ぎに起きて遅めの昼食をとる。洗濯や掃除を済ませて時計をみて、針は17時をさしていると、途端に考えてしまう。「どこかに出かけなければならない」と。

「今日、一日外出しなかったんだよね」なんて自虐で話してくれる人がいるが、正直憧れる。「ひとり好きのさみしがり屋」のような、「外に出かけたいインドアな僕」の少々こじれた純情な感情は、なかなかうまく伝わない。

「出かけなくちゃいけない」という、どこかのヒーローが背負う使命のように、僕は散歩をする。そうして今日も、小さな地球は保たれるのだ。


散歩していると、地面の温度を確かめたくなることがある。
コロナ禍の自粛期間、人と触れ合うことが少なくなったときから、温度に敏感になったと思う。部屋でひとりでいたとき、ぬくもりほしさに、僕は冷蔵庫を抱きしめたこともある。冷やすためにつくられた冷蔵庫は、抱きしめると、じんわり温かい。あのときの感覚が、アスファルトの上を歩いていると、ふと思い出す。今、僕の歩いている地面は、あたたかいのだろうか。

「なにか落としたふりでもしてみようか・・・」
そう思うのだが、散歩中は、基本なにも持っていない。落とすものがない。では、靴紐を結びなおそうかと思うが、いつも僕は、サンダルで散歩をしている。紐も縁もない。

「普通にさわればいいんじゃない?」って声が聞こえてきそうだから、想像してみてほしい。いままで普通に歩いていた一人の男性が、いきなりしゃがんで地面をさわっているところを。体調不良かと思って、心配してくれる人がいるかもしれない。(都心の人は、やさしいから)それに、もし大地の声が聞ける人として認知でもされたら、望まぬ誤解がうまれてしまう。アウトローで活躍したかったアイドルが、正統派で売り出されてしまうくらい大きなギャップを生んでしまう。これは良くない。

しかし、もしあたたかいのならば、全身でその温度を感じてみたい。よこになりたい。ベッドにダイブするかのように、アスファルトに倒れてみたい。可能なら、スーツ姿から、パンイチになるルパンのようなダイブをきめて、温度を感じてみたい。

「倒れるときは、前のめり」って言葉をきいたことがある。
だけど、僕は思う。頭を打ったらどうするんだろう。致命傷になって、二度と起き上がれないんじゃないかと思ってしまう。前にたおれるぐらいなら、後ろ向きに倒れつつ、ほんの少し、アゴをひいて受け身をとったほうが、再起できるのではないか、と。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』というアニメがある。主人公の少女ヴァイオレットは、戦争のための武器として育てられる。そして、戦争により両腕をなくしてしまいます。ヴァイオレットは、最愛の人から「愛してる」と告げられるのですが、武器として育てられたので、その意味がわかりません。後に戦争は終結し、両腕は義手になります。ヴァイオレットは、「愛してる」の意味を知るために、郵便局で働き始める。

両腕がないヴァイオレットも、少しの失敗で倒れてしまったら、きっと致命傷になってしまう。前のめりに倒れ、また起き上がるためには、大切な人がそばにいるという両腕が必要なんだと、そのアニメを見て思う。

アスファルトの上で、よこになるには、まだ僕には両手が足りないかもしれない。僕には、酔い潰れてアスファルトの上でよこになっている友人がいるのだが、彼にはみえない両手があるように思える。あぁ今日も、よこになりたい。


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