【329】不安感の連鎖を対話で断ち切れ
昨日はどことなく悩ましい気持ちを吐露したけれど、そんなこともnote毎日更新していたらあっても仕方ないのかなと一人思う。
どんなに強がろうとも振り切れない不完全さが人間味と呼べるものなのだろうか。
知らない、見えない、わからない。
そうやって不安は少しずつ募っていくから。全くこれぐらいのペースで貯蓄が出来たなら自分はどれだけ裕福になってるだろうななんて思うと笑えてしまう。
感情の起伏なんて一過性のものだと思っているから。
怒りも喜びもずっと長くはキープ出来ない。浮き沈みしながら感情の波は揺れ動いている。
「きっと大丈夫」なんて言い聞かせながら手に汗握っていたり。
誤魔化そうとしても表情が強張っていたりするような弱さは隠しきれないことが多い。
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何かの予感がするときに体が変調して《寒い》と感じることがあると書いた。これは間違いなく不安から来たものだった。
わからないから一人でまずあらゆることを想定して可能性を探ってみる。いいパターンと悪いパターンと。
そんなことをしたって落ち着きはしなかった。
そうやって弱くなると疑心暗鬼になって、人を疑うことをしてしまう。信じる心よりも先にその見えない答えをなんとしても見つけようと現実だけを探し始める。
信じてあげなくてはならないはずの家族にでさえそうして疑ってみたりして。
どうしても答えが欲しくなってしまう。答えが見つかることで自分が安心したいだけなんだろうけど。
なんとも恥ずかしい話だ。
家族は最後の最後まで信じていたいじゃない。それなのに不安からでも疑念を抱くって良くないよな。
どんなに不安だろうと信じぬくために何が出来るのかを考えて行かないと。
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半信半疑ながらも《対話》するしかないと決めて話してみた。
結果的に不安な気持ちはそこでやっと少し和らぐことが出来た。きっとその不安を解消させられるのは《対話》のあるコミュニケーション、または《時間》をかけてひたすら波が去るのを待つことなんだろう。
人は弱くなると周囲が敵だらけのように警戒心が強くなってしまう。
生き抜くための本能なのか。
不安になることで放つ空気は連鎖していく。「どうしたんだろう」「何考えているんだろう」と互いに心配になってしまうから早めに消していけるのがいい。
本当に求めていたのは安心だったのか、それとも信じれる心だったのか。
知らないままでいない為には改めて《対話》のあるコミュニケーションの必要性を感じた。
サポートして頂けるなんて本当に感激です。その気持ち、そのひと手間に心から感謝します( *´艸`) たくさんのnoteから見つけて下さりありがとうございます!!