見出し画像

深く考えること、考えるよりも話すこと

こんばんは。
夜にゆったりめろーなBGMをかけながら今日はこのnoteを書いています。

だいたい毎回そうなんですが、書き始めるときは、何を書こうかなと1分くらい考えて、それでタイトルを書きます。

それから今まさに書いているこの本文を、まさに考えながら書いています。というか、考えたと同時にそのままタイプして、文字にしています。

いろんな書き方や書く準備の仕方があると思いますし、自分もいろいろです。ただ、特に最近のnoteでは、自分自身のアウトプット、ということを純粋に大切にしようという気持ちもあり、かつ、質より量、継続こそ力なれという精神の元、考えたことをそのまま文字通りタイプしている形です。
書き始めてから投稿ボタンを押すまで、おおよそ30分弱となっております。

そして今回のテーマは、「深く考えること」と「一人で考えすぎるよりも、まず人に話す」の2つのことについて書きたいと思います。

「よく考えてから話しなさい」

これって、そう教わってきているし、基本的には、「何も考えずに話す(=ゼロ)」に比べたら「考えてから話す(=1以上)」のほうがベターなんだとは思います。

授業とか講演のあとで、何も考えずに空気をよまない質問とかしたら、ほんとそんな感じですよね。

これは、正しいと思うんです。

一方で、1以上を考えすぎて、一人で100点満点まで考える、ということも結構きびしいよなとも思うんです。

「悩んでいたけど、話したら意外とふっきれた」

こんな経験はありませんか?

ほんとに暗闇の中というか、絶望というか、もう自分にはどうしようもできない、自分は世界で最も悲しい悲劇の人物だ、のような。

ずっとネガティブな状況から抜け出せなかったのに、勇気を持って人に伝えてみたり、人と議論したりアドバイスをもらうことによって、次なる一歩を踏み出せたり、ふっと心が軽くなったり。

ちびっこたちの喧嘩もそうかもしれません。おもちゃのとりあいとかもうささいなことで喧嘩をして、「もう遊ばない!」とかなるのに、少し諭して、「ごめんね」って言い合ったら、もうけろっと笑顔で一緒に遊んでいる。

考えることももちろん大事だけど、考えすぎているよりは、人に話したほうがいいのではないか、そんなことを最近考えています。

これは、A or B のどっちが良い、どっちが正しいという二項対立なんかではなくて、ケースバイケースだし、ときとして結果論。どっちも正しいし、ときとしてどっちも間違っている。人による。場合による。

だからこそ、そのファジーな感じも捉えておくことって大切なんだろうなと。こうしたらこうなる、とか、この人が悪い、とか、これが原因、とかこれがボトルネック、とか、いろんなところでわかりやすい「課題」が求められているような気がする。


だけど、その課題も解決策も、暗闇も光も、人間同士の関わり合いの中では常に変化していたり、自分たちの認識が勝手に作り出していたりして。ぐーーーーっともんもんと追求するよりも、他者と対話をふかめていくことで自然とみえるようになったりするのかもしれない。

そんなことを、いま書きながら、考えて、書いています。


考えることも、やめません。

同時に、ポジティブに考えるためにも、対話したり、自分から発言したり問いを出したり、他者に耳を傾けたり、そういうこともバランスをもってやっていきたいなと思います。

読んでいただいてありがとうございました。

じわじわじと、一緒にすこしずつ。


おずもっ!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?