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介護サービスがなかった地域での、介護サービス提供の足がかりとして、サロン活動を始めた話

トビウオが港まで入ってくる宝島の6月は、海辺が賑やかだ。トビウオの水揚げが盛んだった、6月末。その頃、1000匹以上の水揚げがあった日もあった。夜になると、網を持って港に訪れる島民に紛れて、トビウオを掬いに行っていた。言葉通り、港に入ってくるトビウオを、タモで掬うのだから、衝撃だった。港には、水揚げされたトビウオが小山になっていた。

「まずは、始めてみよう。」

スタッフ候補者の方と、診療所サロンを見学した上で、サロン活動の準備を始めた。場づくりからということで、物置になっていたコミセンの和室の掃除から始めることになった。スタッフの皆さんも、僕が朝から掃除をしていると、声をかけてくれて、自然と一緒に掃除をしてくれていた。私物も多く、数日がかりの大掛かりな掃除になった。


そして、ミーティング。サロンの時間内に行うことをスタッフと話し合いを重ねた。そして、活動の後にも振り返りのミーティング。慣れない会議で、話し合いはいつも時間をオーバーしていた。高齢のスタッフもいるし、それぞれに立ち位置で意見が違う。毎回、不安や不満が噴出し、それぞれにもがいていた。それでも最後は(無理やり)前向きに持って行く、想いがこもった時間でもあったと思う。効率は悪かったけど、大切な時間だった。その中で僕は、僕なりの想いを伝えながら、スタッフの皆さんとの温度差を気にせざるをえなかった。当時の記録に、このように書いている。

『行動するだけでもダメ。情熱があるだけでもダメ。もっと大切な何かがある気がする。それを見つけなければ、島の人と親しくはなれても、その先はない。』

まずは、週に1回のサロンから

時間は14時から16時の2時間。診療所サロンを引き継いで、体操とお茶飲みを組み合わせたものだった。健康面は引き続き、看護師が担当してくれた。これまでに築いてきた関係性のおかげもあり、参加者もスタッフも安心した様子だった。

初回のサロン活動では、季節感のあることをしたいということで、七夕飾りを作成した。反対意見もあったが、子供たちにも参加を促して行った。

僕は、高齢者だけではなく、色んな人が集える場にしたかった。子供が来れば、やがて保護者もくる。先に恩を着せておく作戦だ。笑。そして、サロンの集まり場のネーミング。参加者、スタッフも含めて話し合い、「やすらぎ教室」に決定した。その後、鹿児島の某葬祭場の名前と同じだということで、島の人からイジられた。僕のせいじゃない、僕だけのせいじゃない。笑

当時の僕の1日

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