生きるための学びを実装しよう #変化を常に#まなびの人生設計図
先行き不透明な世界情勢の中で、日本は大丈夫かという話が飛び交う。将来どうなるだろうかと漫然とした不安が広がっていることもわかる。
さて、どうするかということの中で、私たちが手足を使ってできることは目の前のことだ。小さな命を育むこと、心身を整えること、着実に暮らしをつくっていくこと、当たり前のことを当たり前のようにできるようでいたいと切に願う。
これからの未来に向けて、少し違った視点で見てみようと思う。それは今まで、地域開発として先進国が発展途上国へおこなった支援のありかたの功罪がある。
よく話がでるのは、近代的な暮らしを導入し、みんながそれに憧れ、どうやってお金にするかということへ促していった結果、貧困が広がり、目の前に食べられる商品作物はあるにもかかららず飢えてしまう、結果的には先進国や先進国の企業の利益をうむための仕組みに組み込まれてしまって、その国が地域が村がもっていた意思決定権を奪ってしまい、コミュニティが成立しなくなっていくという物語である。
端的に言うと、暮らしが改善し便利な暮らしができた。が、それは持続できる仕組みではなかった。と言える。
本当に私たちは幸せに生きられる社会に向かっているのだろうか、誰もが取り残されることなく安心して暮らせる社会に向かっているのだろうか。
どこかに正解があるという幻想をふりはらい、互いの価値観を認めながら多様なありかたを尊重し、常に変化し続けていく道を見出していかなければならないのではないだろうか。と感じている。
発展途上国の地域開発を思い浮かべる。先進国が発展していった道をたどるのではなく、地域が地域として自治を確立しながら適正な取引をして内と外の経済をまわしていくということ、そのためにどう行動できるのか支援できるかということ。
このこと自身が今後の日本の地域のありかたと重なるところがあるのではないだろうか。まさに、地域として生きるための学びを積み重ねていくということである。
具体的には、地域にいる当事者として、
・暮らしの自給力を高めていくこと
・土地を地域で維持して自治を高めていくこと
・地域へ投資して地域の仕事をつくること
の3点をあげて、さまざまな方法を取り入れ仕組みをつくっていきたい。
同時に、取り組みの原動力は、「ひと」の想いや行動であるので、マインドをやわらかくして、ともに歩める仲間も増やしていきたい。そのための入口になることも随時すすめていく。
着地点のイメージは、
個人としては、地域、学校、就職、老後という一方通行の人生設計にとらわれることなく、年齢にかかわらず、柔軟に学び変化できる暮らしかた社会とのかかわりかたを獲得し、誰もがはたらきがい、生きがいをもって生きられる人生を送れるようになることである。
地域としては、住民が互いのかかわりあいの中で、課題を解決することのみにとらわれることなく、対話し学びあう場をつくり、課題に発展しない関係性が築かれていくことである。
豊田の農山村には、生身の体をとおしてえられる資源があふれている。苦楽をともにしてきたコミュニティの歴史があり、暮らしがある。新たな世代を受け入れ、次世代の若者たちを育む土壌がある。
豊田の農山村にあるコミュニティのありかたから学び、次世代の若者たちといっしょに社会のありかたを創り続けていくための学びをこれからも育んでいきたい。