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共有することは煩わしい

コモンズには、共有財という意味がある。平たくいえば、みんなの場であったり、モノだったりである。他にも意味があるし、コモンズの悲劇ということもあるが、ひとまずあまり詳しく深堀しない。

モノや場所をいっしょに使うっていうことだけで、拒否反応をする人もいる。例えば、シェアハウスに住んだことがある人は、そのいい面も嫌な面もなんとなくわかると思う。

私有することが社会の基本になったのはいつ頃なのだろうか。私有することが経済を発展させて豊かな生活の基本になったことは間違いない。私有の概念はきっとずっと昔からあった、ただ一方でもっと共有することも身近にあったのではないかと思う。

廃校を活用したつくラッセル、RCの今の校舎の前は木造の校舎だった。この土地も校舎の材料の木材も地域の人が寄付をしてつくったそうだ。今では行政のものというと何か自分たちとは離れたもののようにも思うけれども、みんなで共有して活用して、学校であれば次世代を育む場をみんなでつくっていくということだったんだと思う。

共有することは煩わしい。でも、その過程の中で私たちが人間として大切に育んでいくべきありかたが隠れていると思う。私たちはひとりで生きていけないですからね。

「未来にここに住み、暮らしを営んでいく人たちに委ねたい。」と心地よく送り出して受け取れる受け皿を。

「地縁と知縁でのこす共有資産」とよさとコモンズ 構想中!

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