「東京大空襲から75年」に際し戦災の記憶を後世に伝えることの意味を改めて考える

本日、1945年3月10日に米軍によって行われたいわゆる東京大空襲から75年が経ちました。

これまで本欄は、あらゆる記憶は風化する以上、記憶の風化を前提として取り組む必要があること、さらに総務省が全国各地で行われる年間の追悼式の開催の予定や追悼施設、全国戦災史実調査報告書や国内各都市の戦災の状況を紹介していることが実際に戦争を体験した人たちにとっても、戦争を知らない人びとにとっても、決して小さいものではないことを指摘してきました[1]-[3]。

さらに、第二次世界大戦の終結後、戦争の当事国となっていない日本にあって、空襲は経験した人を除いて急速に疎遠なものとなっているばかりでなく、体験した人たちの数も高齢化によって減少せざるを得ないこと、そして日本が空襲の当事者であったという記憶が風化するのではなく、記憶そのものが失われることにならざるを得ないことも、本欄の指摘するところです[4],[5]。

従って、われわれは日本が交戦国から空襲を受け、そして交戦国に対して空襲を行ったという事実をどのように将来へと伝えて行くかが課題となるのは不可避の状況であり、失われる空襲の体験を確実に次の世代に伝えるための対策を一層進めるべき段階に至っていることは明らかです。

この時、参照すべき議論の一つが、自身も東京大空襲の被害を受けた、文化人類学者の川田順造先生の指摘です[6]

死者が祖先になって何代か経たあとでは、死者はことばである名によってしか、もはや生者には知られていない存在となる。死者を生きた人間として知っていた者にとっては、死者の名は、名とは別に五感で知覚されていた対象を指示することばだったが、代の隔たった祖先となれば、指示対象としての死者は(中略)個人としての輪郭も定かでない、いわば指示される実体があるかどうかわからない、「名」のみによって指示された存在になってしまう。


ここにも、われわれの記憶の消失が含む問題が明瞭に示されています。

「実体があるかどうかわからない、「名」のみによって指示された存在」を想起するという意味においても、「東京大空襲から何年目」といった記念の日の重要性が増すことはあっても、減退することはありません。

それとともに、東京大空襲の陰に隠れる形となっているものの、われわれは東京大空襲の後にも各地で空襲の被害が起きたことを忘れてはならないのです。

[1]鈴村裕輔, 3月10日に東京大空襲の犠牲者を悼むことの意義は何か. 2014年3月11日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/deceb945dea9e5bee44e2e5d9456d227?frame_id=435622 (2020年3月10日閲覧).
[2]鈴村裕輔, われわれは「東京大空襲70年」から何を学ぶべきか. 2015年3月10日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/42a2385099395642fa80b1cda3b67b7c?frame_id=435622 (2020年3月10日閲覧).
[3]鈴村裕輔, 東京大空襲から71年目を迎えて--戦災の記憶を後世に伝えるということ. 2016年3月12日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/c7033b41f5d2f9bcd6c4b68d32d72e83?frame_id=435622 (2020年3月10日閲覧).
[4]鈴村裕輔, 消失する東京大空襲の記憶を後世に伝えることの重要性は高まる. 2017年3月13日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/381c7a0082c71bf31b17e521a30e75ac?frame_id=435622 (2020年3月10日閲覧).
[5]鈴村裕輔, 年を追うごとに高まる東京大空襲の記憶を後世に伝えることの重要性. 2018年3月10日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/5e9667214156b96554156dceacbd5ef7?frame_id=435622 (2020年3月10日閲覧).
[6]川田順造, 声. 筑摩書房, 1988年, 126頁.

<Executive Summary>
What Is a Meaning of the Memorial Day of the Great Tokyo Air Raid? (Yusuke Suzumura)


The 10th March 2020 is the 75th Anniversary of the Great Tokyo Air Raids of 1945. We have to pay our attention carefully to importance of passing down war memories of war damage to the future, since most of experienced person of the Great Tokyo Air Raids of 1945 might have passed away within the next few decades.

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