【評伝】ジョー・モーガンさん--「ビッグ・レッド・マシーン」に不可欠だった「リトル・ジョー」

現地時間の10月11日(日)、シンシナティ・レッズなど5球団に所属し、野球殿堂に選出された二塁手ジョー・モーガンさんが逝去しました。享年77歳でした。

モーガンさんが「ビッグ・レッド・マシーン」の異名で1970年代の大リーグを席巻したシンシナティ・レッズの一員として1975年、1976年に2年連続で最優秀選手(MVP)となったこと、また、打撃力と機動力を備えた二塁手として22年にわたり活躍したことは、周知の通りです。

また、「リトル・ジョー」の綽名で親しまれたように、身長約170センチ、体重約71キロと小柄であり、「史上最も小さな三番打者」と称えられていることも広く知られるところです。

1963年にヒューストン・コルト45'sと契約し、A級モデストとダーラムを経て9月21日に大リーグに昇格したのは、ダーラムで95試合に出場して107安打、打率.332、13本塁打を記録した打撃力が評価されたためでした。

翌年はAA級サンアントニオで140試合に出場した後にコルト45'sに再び引き上げられ、これ以降は大リーグが活躍の舞台となりました。

安定した成績を残す二塁手が球界を代表する選手へと変貌したのは1971年11月のことで、コルト45'sから名称を改めたアストロズがレッズとの間で大型トレードをしたときでした。

アストロズからはジャック・ビリンガムやシーザー・ジェロニモら5選手が、レッズからは大物一塁手であったリー・メイら3選手が移籍したのは、モーガンさんが29歳の時の出来事でした。

新興球団から名門に移ったモーガンさんは、ビリンガムやジェロニモのほか、捕手のジョニーベンチ、三塁手のピート・ローズ、外野手のケン・グリフィーらと強力打線「ビッグ・レッド・マシーン」を形成するのでした。

特に、それまで長打力が見劣りしたモーガンさんが4回にわたり20本塁打以上を記録できたのは往年の長距離打者でレッズの打撃コーチを務めていたテッド・クルゼウスキーの指導を受けたためで、5年連続100四球以上を達成する一方で三振数は80個未満という選球眼の良さにより、レッズの打線に不可欠な存在となったのでした。

打撃の主要部門で1位とならなかったにもかかわらず2年連続でMVPを受賞したもの、リーグを制覇したレッズの中でも優勝への貢献度が高かったことに加え、走攻守のいずれも高い水準にあったためであったといえます。

MVPとなった1975年と1976年はワールド・シリーズでも活躍しました。すなわち、1975年は第3戦と第7戦に決勝打を放ち、第4戦と第5では守備で顕著な活躍を示し、1976年もニューヨーク・ヤンキースを4戦全勝で下すために主に打撃で貢献しました。

その後、1979年のシーズン終了後にフリー・エージェントの資格を取得してアストロズに復帰すると、モーガンさんはサンフランシスコ・ジャイアンツ、フィラデルフィア・フィリーズ、オークランド・アスレティックスと3球団を経験して1984年に引退します。

現役を退いた後のモーガンさんはABC、NBC、ESPNなどで解説者を務め、2010年からは顧問としてレッズの球団経営に参画するなど、球界と深い関わりを持ち続けました。

さらに、大リーグ歴代5位となる通算1865四球が象徴するように、選手時代の総合力の高さが評価されたことで、モーガンさんは1990年には野球殿堂入りを果たしています。

一方、「家族こそがすべて」と公言するなど、モーガンさんは私生活では家族思いで知られていました。

日米野球のためにレッズが来日した1978年、モーガンさんは出場を辞退しましています。日本国内では全盛期を迎えていた大選手の不在を惜しむ声が聞かれたものの、「オフ・シーズンは家族と一緒に過ごしたい」という希望を聞いた同僚選手は、日頃からのモーガンさんの人柄を思い起こし、誰もが納得したのでした。

<Executive Summary>
Critical Biography: Mr. Joe Morgan, "Little Joe" Is a Great Big Leaguer (Yusuke Suzumura)

Mr. Joe Morgan, a former second fielder for five MLB teams including Cincinnati Reds and Houston Astros and a member of the National Baseball Hall of Fame, had passed away at the age of 77 on 11th October 2020. Mr. Morgan was one of the competent player in the 1960s and the 1970s and a core of the "Big Red Machine".

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