開幕1か月前に考える「北京オリンピックの問題」

去る1月4日(火)、北京オリンピックの開会まで1か月となりました。

北京オリンピックを巡っては、中国国内での人権問題を理由として米国やオーストラリアなど一部の国が主要な政府高官を開閉会式に派遣しない「外交的ボイコット」を行うことを決めており、日本もこうした動きに追随する形で政府関係者の参加を見送ることを決めました[1]。

中国政府が「スポーツの政治化」に反対し、国際オリンピック委員会(IOC)もオリンピックと政治を結びつけることを批判する様子からは、米豪日などの動きは「オリンピックの政治化」の典型的な態度のように見えるかもしれません。

しかし、外交の勘所が譲歩と妥協とにあるとすれば、各国が「外交的ボイコット」を行っても選手団の派遣を見送らないことの意味は小さくありません。

すなわち、中国政府が「スポーツの政治化」に反対することは「スポーツと政治の分離」の含意であり、各国が政府高官の派遣を見送ることで中国は米豪などが政治的主張を行うことを間接的に許容する一方で、「外交的ボイコット」を行う国は予定通り選手を参加させることでスポーツはスポーツとして取り扱う姿勢を示し、中国は面目を保つことになります。

従って、各国が選手の派遣を断念しないことは「外交的ボイコット」の持つ象徴的な意味合いを強調することはあっても、中国当局にとっては大会の成功を誇示する余地を与える措置にほかなりません。

むしろ、厳格な措置により新型コロナウイルス感染症の拡大を抑止する一方で観客を国内の居住者のみに限定し、「『コロナ禍』を抑え込みオリンピックを成功させた」と当局の対応の成果を誇示しようとする中国政府にとっては、新型コロナウイルス感染症が再び拡大の傾向を示す現在の状況は好ましくないものです。

それだけに、今後中国側は様々な方法を用いて感染を封じ込め、予定通りの規模での開催を実現しようとするでしょう。

そして、「外交的ボイコット」であれ「『コロナ禍』の封じ込め」であれ、一連の動きの中で選手の存在が際立たないという点に、IOCが掲げる「選手第一」という理念の形骸化が認められるのも明らかです。

その意味で、大会組織委員会、日本オリンピック委員会、東京都、日本政府、IOCの相互の連携の不十分さと意思決定の過程の不明瞭さが人々のオリンピックへの信認の度合いを低めた昨夏の東京オリンピックとは異なり、当局による厳格な統制がなされるがゆえに北京オリンピックもわれわれにオリンピックのあり方に疑念を抱かせます。

開幕まで残り1か月となった現在、北京オリンピックが解決すべき課題は決して少なくないのです。

[1]閣僚や高官派遣せず. 朝日新聞, 2021年12月25日朝刊1面.

<Executive Summary>

What Is an Important Viewpoint to Examine the Beijing Olympics? (Yusuke Suzumura)

The 4th February, 2022 is the opening day of the Beijing Olympics. In this occasion we examine problems of the Beijing 2022 under an outbreak of the COVID-19.

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