陳舜臣さんの生誕100年によせて

昨日、作家の陳舜臣さんが生誕100年を迎えました。

1924(大正13)年2月18日に兵庫県神戸市で生まれた陳さんが最初は推理小説で名を成し、その後歴史小説を本格的に手掛けるようになってからは中国、琉球、インドなど広く太平洋地域を舞台とする諸作品を上梓し、独自の境域を開拓して斯界の第一人者となったことは周知の通りです。

私も、中学2年生であった1990年8月に初めて著作に触れて以来、陳さんはその作品を愛読している作家の一人です。

残念ながら陳さんは2015年1月21日(水)に90歳で逝去されました。

その際、私は陳さんを追悼する一文を本欄で紹介しています[1]。

そこで、今回陳さんの生誕100年を記念し、以下に旧稿を改めてご紹介します。


【追悼】陳舜臣氏--対象への豊かな理解と確かな着眼点
鈴村裕輔

1月21日(水)、作家の陳舜臣さんが死去しました。享年90歳でした。

推理小説の作家として出発した陳さんが中国の歴史に取材した歴史小説家として一家をなし、20世紀後半の日本を代表する国民的作家として多数の作品を上梓したことは広く知られる通りです。

私が初めて陳さんの作品を読んだのは中学校2年生の夏休みに母方の実家の山口県宇部市に帰省した1990年8月のことで、祖父が私に蔵書の一部を譲ってくれた際、司馬遼太郎の作品とともに多数収められていたのが陳さんの単行本や文庫本でした。

祖父は、私が小学校6年生から中国の古典思想や古典文学に興味を持ち始めたことを知っていたため、私に譲る蔵書の中に陳さんの書籍を50冊ほど入れてくれたのでした。

中学校を卒業するまでに譲り受けた陳さんの本を読み終えると、その後は自分で既刊本や新刊本を買い求め、当時入手しうる陳さんの書籍の大部分を手元に置くことになりました。

いずれも興味深い作品ではあったものの、とりわけ印象深いのは、『秘本三国志』(文春文庫、1983年)、『中国の歴史』(講談社文庫、1990-1991年)、『阿片戦争』(講談社文庫、1992年)、『太平天国』(講談社文庫、1988年)、『唐詩新選』(新潮社、1989年)でした。

陳さんの作品は、一見すると大きな展開の中にあってささやかな支流や地下水脈を形成する出来事や人物を丹念に追及し、あらゆる断片は置換可能な等質的なものではなく、その一つひとつに異なる性格や要素が備わっていることを描き出す点に特徴がありました。

例えば、『阿片戦争』における、迫りくる英国艦隊に対して関天培の指揮する清軍の奮戦ぶりや、『太平天国』において、翼王を名乗った石達開が清軍を包囲した際、降伏を迫る石達開に対して清軍側が「清の皇帝は知っているが、翼王などは知らぬ」と徹底して抗戦する構えを見せた場面の描写などは、歴史という大きな流れにおいては顧慮されない挿話ながら、一人ひとりの人間のあり方を読者の目の前に生きいきと蘇らせる、陳さんの優れた筆致の典型といえるでしょう。

この他にも、陳寿の『三国志』や羅貫中の『三国演義』では限られた記述しかない張魯と架空の人物である母の少容を中心に描く『秘本三国志』や、『中国の歴史』における「人物を描くためにはその人が没してから50年程度を経なければならない。何故なら、それまでの間は関係者が生きている可能性が高く、公平な描写ができないからだ」という趣旨の記述などには、陳さんの小説に対する態度や歴史への眼差しが垣間見られるといえます。

このように、日本の文学界で独自の地位を占めた陳さんではあったものの、1994年に脳出血を発症したために、作家として大成の時期を迎えるはずであった70歳代以降の執筆活動が停滞したことは、仕方がないとはいえ残念なことでした。

しかも、近年は新刊書がほとんどなかったこともあり、書店でも文庫本の扱いが減り、書棚にその名前を見出すことが難しくなったことは、世の移ろいが実感され、寂しく思われたものです。

それでも、取り上げる対象への理解の豊かさと着眼点の確かさ、そして誠実さと諧謔の精神とが同居する陳さんの作品は、これからも読み継がれてゆくことでしょう。

私が体系的に読書を行った初期に大きな位置を占めた改めて陳さんのご冥福を、改めてお祈りいたします。


[1]鈴村裕輔, 【追悼】陳舜臣氏--対象への豊かな理解と確かな着眼点. 2015年1月22日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/1aa6297f88aabcea3c53e4dfe96a1e83?frame_id=435622 (2024年2月19日閲覧).

<Executive Summary>
Celebrate Mr Chin Shunshin's 100th Anniversary (Yusuke Suzumura)

The 18th February 2024 was the 100th Anniversary of Mr Chin Shunshin, an author born on 18th February 1924 and passed away at the age of 90 on 21st January 2015. On this occasion I reintroduce my past article concerning Mr Chin.

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