「畑中良輔の描く若き日の今井重幸」について思ったいくつかのこと

去る11月3日(水、祝)に橋爪功さんが旭日小綬章を受章された際、本欄では東京都立青山高等学校の同窓である橋爪さんへの祝意を表するとともに、やはり青山高校の同窓で元法政大学総長の清成忠男先生が2010年に瑞宝大綬章を受章されたこと、さらに声楽家の畑中良輔さんが旧制東京都立青山中学校で教鞭をとっていたお話を紹介しました[1]。

ところで、旧制東京都立青山中学校の音楽教師としての畑中良輔さんの教えを受けた一人に、作曲家で清成忠男先生と同学年の今井重幸先生がいました[2]。

畑中さんの回想によれば、今井先生は青山中学校在学中から音楽家を志望していたため、『コールユーブンゲン』やピアノの初歩を指南し、卒業後も時々連絡を取り合っていたそうです[2]。

また、今井先生が授業前の休み時間に読書をしていたので何を読んでいるかと尋ねると、堀口大學が翻訳したイヴァン・ゴルの『マレー乙女の歌へる』であり、大変に驚いたことが記されています[3]。

これは、今井先生が中学2年生であったときであるとされているため[4]、1947年4月から19483月までに起きた出来事になります。

当時ゴルは存命であったものの日本では広く知られる存在ではありませんでした。

それだけに、ゴルの「『マレーの乙女の歌へる』を戦後いち早く手にしていた少年」に対して、畑中さんは心底驚いたのでした[4]。

もとよりどのような物事に興味や関心を抱くかは年齢に関係ないものの、戦後の混乱が続く時期にゴルの詩集を手にしていた今井先生の姿には感性の鋭敏さが窺われます。

そして、そのような今井先生であったからこそ、畑中さんも「伊福部昭の高弟」[2]、「伊福部昭が最も高く評価した作曲家」[4]と評価しているのでしょう。

畑中さんの何気ない記述を通してその後の今井先生の足跡を振り返ると、実に感慨深い記録ということができるかも知れません。

[1]鈴村裕輔, 橋爪功さんの旭日小綬章受章を祝して. 2021年11月3日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/0b4e7897a2bcb2d3c428622bff560d0f?frame_id=435622 (2021年11月15日閲覧).
[2]畑中良輔, オペラ歌手誕生物語. 音楽之友社, 2007年, 219頁.
[3]同, 221頁.
[4]同, 222頁.

<Executive Summary>
A Relationship between Teacher and Student: In the Case of Professor Ryosuke Hatanaka and Mr. Shigeyuki Imai (Yusuke Suzumura)

Professor Ryosuke Hatanaka was a teacher of music of the Tokyo Metropolitan Aoyama Junior High School under the old system and Mr. Shigeyuki Imai was a student of the school. In this occasion I express some episodes between teacher and student when they were members of the school.

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