【旧稿再掲】誰もが一翼を担える「国際日本学」

2011年3月から7月まで、法政大学大学院国際日本学インスティテュート専攻委員会では、ウェブサイト「国際日本学へのいざない」を開設していました。

本サイトには私も修了生として参加し、随筆「一週一話」を22回にわたって寄稿しました。

そして、第1回目の記事「誰もが一翼を担える「国際日本学」」は今から10年前の2011年3月3日に公開されました。

現在では「国際日本学へのいざない」は閲覧できず、「誰もが一翼を担える「国際日本学」」も私の嘴の黄なる頃の名残りを留めています。

しかし、大学院で博士課程を終えて3年が経とうという時期に私自身が国際日本学をどのように捉えていたかを振り返ることは、国際日本学という分野を学び、あるいは志す方にとって何がしかの意味があるかも知れません。

そこで、以下に「誰もが一翼を担える「国際日本学」」をご紹介します。

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誰もが一翼を担える「国際日本学」
鈴村裕輔

「研究者は特定の専門分野を持つ」という暗黙の前提があるため、初めて会う相手との一通りの挨拶が済むと、「ところで、ご専門は?」という言葉が口を衝いて出ます。日本でも外国でも同じ展開を辿り、例えば英語を用いる場合は、"Anyway, what is your major?"となります。

このとき、「専門は政治学です」とか「物理学を専攻しています」と答えるか、より詳しく「政党史が対象です」あるいは「量子力学です」と答えるかは人それぞれですが、それでも、何らかの分野を提示する、という点に変わりはありません。また、場合によってはこの時点でそれぞれの名刺を交換する、ということもありえます。

ここから、話は次の段階に進むことになりますが、交換した名刺を見た相手が、名刺の持ち主の専門分野を容易に想像できない場合があります。その理由の大部分は、内容があまりに専門的にすぎるか、あるいは自分に馴染みのない分野であるかの、いずれかでしょう。「文科系」と言われる人にとって「分子薬理学」は馴染みがありませんし、「理科系」の人には「思想史」は不可思議な響きを持つことでしょう。

ところで、私自身の場合、「国際日本学です」あるいは"International Japanese Studies"というと、相手が不思議な顔をするのは、日本でも外国でもしばしば出会う光景です。これは何故でしょうか。答えは明らかで、「国際日本学」という語が、一つの確立された学問上の分野となっていないからです。そのため、具体的には「国際日本学という分野の中で何を研究しているか」を補足的に説明する必要があります。

しかし、このような、「国際日本学」に対する人々の怪訝な顔つきは、それだけこの分野が未開拓であり、様々な研究上の課題が手つかずのまま残されていることを暗示しています。

そのため、私は、不思議な顔をする相手にこう付け加えます。「要は、何でもあり、という分野です」と。

発展途上だけに、「国際日本学」は、誰もが努力の程度に応じて一翼を担える分野なのではないでしょうか。
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<Executive Summary>
We Can Take a Part for "International Japanese Studies" (Yusuke Suzumura)

I contributed an essay entitled with "We Can Take a Part for "International Japanese Studies" on Introduction to International Japanese Studies on 3rd March 2011. In this time, I present an essay to readers of this weblog.

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