論文「石橋湛山の国技論を通してみる--日本プロフェッショナル野球協約の問題」の草稿のご紹介(2)

本欄では、私が初めて石橋湛山について執筆した論文「石橋湛山の国技論を通してみる--日本プロフェッショナル野球協約の問題」[1]の草稿をご紹介しています。

今回は、その第2回目となります。


石橋湛山の国技論を通してみる日本プロフェッショナル野球協約の問題
鈴村裕輔

一 国技の辞書的定義

ある言葉や事柄の意味や様態に疑問をもち、不明な点を見つけるとき、多くの人は辞書、事典の類を手にすることだろう。

そこで、われわれもその例に倣い、いくつかの辞書で「国技」の定義を見てみよう。

その国特有の技芸。一国の代表的な競技。日本の相撲など。(『広辞苑』第五版)
その国を代表する特有の武芸・競技・技芸。日本では相撲。(『大辞泉』増補・新装版)
その国を代表する、特有な技芸、武芸、スポーツ。日本の国技はすもうとされている。(『日本国語大辞典』第二版、第五巻)

手近な辞書、事典を見ただけでも分かるのは、「国技」が「一国の特有な、あるいは代表的な技芸、武芸、スポーツ」を意味し、「日本の国技はすもう」ということである。

この定義は納得できるものだろう。実際、当時の小泉純一郎首相も第一六四回国会における施政方針演説の中で「国技である相撲では、朝青龍や琴欧州の外国人力士が活躍する一方、野球の本場、米国では、野茂、イチロー、松井、井口選手など大リーガーとして立派な成績を上げています」【2】と述べるなど、「日本の国技はすもう」という観点は、いわば常識的なものということができよう。

そして、「野球を不朽の国技」にするという野球協約の文言も、「野球を日本の代表的なスポーツにする」ということを目指していると読みかえることができる。

確かに、このような辞書的定義は「国技」の特徴を明らかにしているといえるだろうし、この定義によって野球協約の意図も理解されよう。しかし、これが、果たして「国技」の唯一絶対的な定義なのだろうか。あるいは、「国技」とは単に「一国の代表的なスポーツ」のみを表象する概念なのだろうか。そして、他の異なる定義は考えられえないのだろうか。

ここで、われわれは、このような問いに対してひとつの答えを提示しうる見解を検討する必要があるだろう。すなわち、「国技」に対する石橋湛山の意見を見なければならないのである。

【2】 第164回国会における小泉内閣総理大臣施政方針演説. 首相官邸, https://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/233374/www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/01/20sisei.html (2023年10月8日閲覧).


[1]鈴村裕輔, 石橋湛山の国技論を通してみる--日本プロフェッショナル野球協約の問題. ベースボーロジー, 第7号, 2006年, 213-220頁.

<Executive Summary>
Draft of Artcile: Discussing problems of the Japan Professional Baseball Agreement based on the theory about national sports of Ishibashi Tanzan (II) (Yusuke Suzumura)

An article "Discussing problems of the Japan Professional Baseball Agreement based on the theory about national sports of Ishibashi Tanzan", my first paper examining Ishibashi Tanzan, was run on "Baseballogy" in April 2006. On this occasion, I introduce the Japanese draft to the readers of the weblog.

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