再び「体罰問題」を考える際に不可欠な視点を説く

1879(明治12)年の教育令までさかのぼるまでもなく、日本の学校教育において体罰が禁止されているのは自明のことです。

しかしながら、現在に至るまで体罰が教育現場から根絶されることはなく、最近でも千葉県船橋市立船橋高等学校において男子バレーボール部の顧問兼監督の男性が部員に対する暴行の疑いで逮捕される[1]など、今なお重大な問題として残り続けています。

このような、体罰という名の暴行が明らかになるたびに学校関係者や行政の当局者は体罰の根絶の意思を示すものの、状況の改善は漸進的なものに留まるのは何故でしょうか。

市立船橋高校の事例では学校と船橋市教育委員会が事態を把握できていなかったことが明らかになっています[2]。これは、学校の持つある種の閉鎖性に加え、部活動という場が、不適切な指導がなされている事実がに伝わることを妨げていた可能性を示唆します。

それとともに、たとえ事態が察知されていたとしても全容の解明を妨げる要因があったことも推察されるところです。

すなわち、体罰問題を考える際に見逃せないのが、すでに本欄が指摘する「体罰温存体制」[3]となります。

正課内であれ課外授業である部活動であれ、教員が体罰を行うのは、教育の現場に体罰を許容する構造が存在するからです。

そして、この構造は自然に発生したものではなく、体罰を容認する教員がいる場合否認派の教員が体罰の全貌を明らかにするのが難しいこと、体罰を行う指導者がいるとしてもその指導者によって大会などで顕著な成績が残される場合、学校の評判を高めるとして体罰を容認もしくは黙認する管理職、形式的な視察によって各学校の実情を把握することを軽視しがちな教育委員会、さらには自分の子どもが被害に遭わなければ体罰を他人事と考える保護者の存在など、様々な媒介変数によって形成されています。

従って、体罰を巡る諸問題を考える際に不可欠なのは、体罰を行った指導者を罰するということではなく、体罰を教育現場から一掃するためには指導者だけでなく他の教員、管理職、教育委員会、保護者をも含めた措置が必要であるという視点です。

もとより、こうした考えに基づけば、体罰の根絶がよいではないことは明らかでしょう。

それだけに、われわれは絶えず問題の所在を確認し、適切な対策を取ることの重要さに注意を払い続ける必要があるのです。

[1]市立船橋バレー部顧問、逮捕. 朝日新聞, 2023年2月28日朝刊30面.
[2]<市船高バレー部顧問逮捕>校長困惑「体罰許されぬ認識あったはず」. 千葉日報, 2023年2月27日, https://www.chibanippo.co.jp/news/national/1032170 (2023年3月2日閲覧). 
[3]鈴村裕輔, 「体罰問題」を考える際に忘れてはならない視点. 2013年2月12日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/c2a70072c3a8001dafb65be57446e796?frame_id=435622 (2023年3月2日閲覧).

<Executive Summary>
What Is an Important Viewpoint to Understand the "Physical Punishment Issues"? (Yusuke Suzumura)

The physical punishment issues are one of important problems in the Japanese education system. On this occasion, we examine some esseintial viewpoints to solve this serious problem.

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